雨の外を、猫と一緒に見つめる午後のこと

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梅雨の入り口のような、六月のある午後だった。朝から空が重く、昼を過ぎたころにはとうとう雨が降り始めた。窓ガラスに細い線がいくつも走り、やがてそれが束になって、外の景色をすこしずつにじませていく。

うちの猫、ソラ(三歳の雑種、白と灰のまだら)は、そのとき決まって窓台に上がる。前足をきっちりそろえて、尻尾をゆったりと揺らしながら、ガラスの向こうをじっと見つめる。外を見つめる猫の横顔というのは、どこか遠い場所を旅しているみたいで、声をかけるのがためらわれる。

私はソファに腰を落とし、インテリアショップ「ノルディカ・ルーム」で買ったウールのブランケットを膝にかけた。厚みのある織り地が、じんわりと腿に重なる。マグカップには、ほうじ茶を淹れたばかりで、湯気がゆっくりと立ち上っている。香ばしい煙のような匂いが、雨の湿気と混ざって、部屋の空気を少しだけ甘くした。

雨が降ると、外の景色だけでなく、雨音による聴覚的な変化や、独特な土の匂いといった嗅覚的な変化が激しく起こる。猫は優れた五感をフルに使って、普段とは違う外の様子を丁細に観察し、テリトリーの安全を確かめようとしている。
ソラがああして一点を見つめているのも、きっとそういう理由なのだろう。外は雨。でも彼女にとって、あのガラスの向こうはちゃんと「自分の世界」なのだ。

私にも、雨の日に窓を見つめていた記憶がある。小学校の低学年のころ、梅雨の時期になると祖母の家に泊まりに行った。縁側から庭を眺めながら、雨粒が石畳に落ちて弾ける様子をずっと追いかけていた。特に意味はなかった。ただ、見ていた。今のソラと、おそらく同じ顔をして。

一緒に見つめる私、というのは少し大げさかもしれない。実際のところ、私はソラの背中を見ているだけで、同じものを見ているかどうかは怪しい。それでも、ふたりで雨の外を向いて黙っている時間というのは、なんとも言えず穏やかだ。

ソラがふと振り返った。私と目が合うと、ゆっくりまばたきをして、またガラスの方へ顔を戻す。猫の「ゆっくりまばたき」は、信頼のサインだと聞いたことがある。ならばこの静けさは、ちゃんと共有されているのかもしれない。

そのとき、ソラが小さくくしゃみをした。一度、二度。それからきょとんとした顔で自分の鼻先を見下ろした。どうやら、窓ガラスに近づきすぎて、冷たさが鼻に触れたらしい。私は思わず笑ってしまった。あんなに凛として外を見つめていたのに。

雨が降ると、猫は活発に動かなくなることがあるが、これには野生時代の暮らしが関係している。
そういう話を知ってからは、ソラがこうして静かに過ごす雨の日を、少し違う目で見るようになった。眠そうにしているのも、窓にはりついているのも、全部ちゃんと意味がある。

猫は無理に抱っこされるより、自然にそばにいてくれる人に安心を感じる。静かに寄り添うだけでも、猫にとっては大きな安心感になる。
だから私は何もしない。ほうじ茶を飲んで、ブランケットを直して、ソラの尻尾が揺れるのを目で追うだけ。それで十分だと思っている。

雨の音が、少し強くなった。屋根を叩く音が、部屋の中まで届いてくる。ソラの耳が、ぴくりと動いた。また外を見つめる猫の横顔に戻る。私も、つられるように窓の方を向いた。外は雨。灰色の空と、濡れた葉と、揺れる電線。それだけの景色を、ふたりでしばらく、ただ見ていた。

こういう午後があることを、私はたぶんずっと覚えていると思う。特別なことは何もなかった。でも、それがよかった。

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