賑やかな猫に呆れる私——走り回る背中を、ただ呆然と見つめた梅雨前の午後

Uncategorized

ALT

梅雨入り直前の六月初旬、午後三時を少し回ったころ。窓の外では雨の気配がじわじわと近づいていて、空気がやけに湿っている。室内には、「ヴェルデ・ノット」というインテリアブランドのリネンカーテンが揺れていた。風が入ってきているわけでもないのに、なぜかひらりと動く。ああ、あの子がまた走ったのだと気づくのに、一秒もかからなかった。

うちの猫、ムギは賑やかな猫だ。

賑やかな猫、という言葉がこれほど似合う生き物を、私はほかに知らない。朝起きれば枕元でぐるぐる鳴き、ご飯を出せばキッチンのタイルの上を爪で引っかきながら滑り、食べ終わったら食べ終わったで今度は走り回る。走り回る猫、というのはよく聞く話だけれど、実際に自分の家でそれをされると、なんというか、思っていたのとだいぶ違う。もっと可愛らしいものだと思っていた。

実際はこうだ。ソファの背もたれを踏み台にして、本棚の上に飛び乗り、本棚からテレビ台へ、テレビ台から床へ、床からまたソファへ。その一連の動作が、体重三・八キログラムのわりに信じられないほどの音を立てる。ドドドドド、という振動が足の裏から伝わってきて、置いていたコーヒーカップの中身がかすかに揺れる。

私はその様子を、ただ呆然と見つめていた。

子どもの頃、実家で猫を飼っていたことがある。あのときの猫は、おっとりとした三毛猫で、一日の大半を縁側で丸くなって過ごしていた。だから私の猫のイメージは、どこかずっとそこで止まっていたのかもしれない。ムギを迎えるとき、「猫は静かな生き物だから一人暮らしにも向いている」と誰かに言われて、素直に信じていた。今となっては、その「誰か」に一言言いたい気持ちでいっぱいだ。

走り回る猫の背中を追いかけながら、呆れる私がいる。呆れているのに、目が離せない。

ムギが急に立ち止まって、振り返る。琥珀色の目がこちらを見る。鼻先がぴくぴくと動いて、耳がわずかに前へ傾く。その仕草がなんとも言えず愛らしくて、さっきまでの轟音がどこかへ消えていく。ふわりと漂ってくる、猫独特の温かいにおい。日向と埃と、何か甘いような、そういうにおい。私はそれを胸いっぱいに吸い込んで、なんとなく目を細めた。

静寂は、三秒しか続かなかった。

次の瞬間にはまた走り出していて、今度はカーテンの裾に突進していった。ヴェルデ・ノットのリネンが、ぶわりと大きく揺れる。私はコーヒーカップを両手で持ち直して、ひとくち飲んだ。ぬるくなっていた。

呆れる私、というのは正確ではないかもしれない。呆然とする私、の方が近い。あまりにも賑やかな猫の存在感に圧倒されて、ただそこに座って、見ていることしかできない。止める気力もなく、怒る理由もなく、ただ目の前で繰り広げられる一人劇を観客として眺めている。

ふと思い出すのは、子どもの頃に近所の公園で見た、夏祭りの準備の光景だ。大人たちが忙しそうに動き回る中で、私はベンチに座ってそれをぼんやり見ていた。あのときの感覚と、今のこれが、どこかよく似ている。

梅雨前の湿った空気の中、ムギはまた走り回る。カーテンの向こうで、雨がぽつぽつと降り始めた音がした。窓ガラスに細かい水滴がついて、外の景色がすこし滲む。それでもムギは止まらない。走り回る猫と、呆然と見つめる私と、ぬるいコーヒーと、雨の音。

この午後は、たぶんずっと忘れない。

そういえば今日、ムギがソファから飛び降りた瞬間に、私のメモ帳の上に着地して、ペンがころころと床を転がっていった。書きかけだった買い物リストが、足跡で半分読めなくなった。牛乳と、えーと、あとなんだったっけ。まあ、いいか。

**文字数:約1,850文字**

コメント

タイトルとURLをコピーしました