猫と暮らす日々に、体調に気をつける小さな習慣を

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梅雨の入り口、午後二時ごろの光というのは妙に白くて、部屋の隅までやわらかく染み込んでくる。窓ガラスに細かな雨粒がつき始めたその日の午後、うちの猫のムギが、いつもなら陣取っているキャットタワーの上ではなく、押し入れの下段にひっそりと丸まっているのに気づいた。

猫は体調が悪くても、つらさを言葉や態度で分かりやすく伝えることがほとんどない。
だから、あの「なんとなく静かかも」という直感だけが頼りになる。子どものころ実家で飼っていたサバトラ猫が、ある朝急に押し入れに入り込んで出てこなくなった日のことを思い出した。あのとき母は「猫が隠れるときは、なにかある」と言っていた。その言葉は今でも、胸の奥に残っている。

まず確認したのは食事の様子だった。ムギのごはんは、架空のペットフードブランド「ニャンベル・オーガニック」のウェットフードと、ドライを混ぜたもの。いつもなら器に近づいた瞬間から鼻をぴくぴくさせて食いつくのに、その日は香りを嗅いでそっと離れた。食事に気をつけるというのは、ただ「食べているか」だけではない。
フードの鮮度や保存方法、食器の高さや素材を猫に合わせて調整することも、食欲を左右する大切な要素だ。
食べ方の変化は、体の内側からのサインかもしれない。

次に動きに気をつけた。
体重や食事量を定期的に確認するだけでも、異変を早く察知できる場合がある。
ムギはいつも夕方になると廊下を小走りで横切り、リビングと和室を行き来する。ところがその日は、畳の上に降りることすらせず、じっとしていた。足を引きずっているわけでも、ジャンプを嫌がっているわけでもないが、なにかが違う。動きに気をつけるとは、こういう「量」の変化を拾うことでもある。

体調に気をつけるうえで大切なのは、完璧な知識より「いつもと違う」という感覚を育てることだと思う。
猫は自分の不調を言葉で伝えることができない。だからこそ、飼い主が日頃から愛猫の「いつもの状態」を把握しておくことが何より大切だ。
ムギが押し入れにいるという事実は、単体では意味を持たない。でも、「いつもはキャットタワーにいる」という積み重ねがあって初めて、それが異変として浮かび上がる。

夕方、ムギがそろそろと押し入れから出てきた。畳に降り、ゆっくりと私のそばに来て、膝の上に前足だけ乗せた。体温が伝わってくる。少し熱いような気もするし、気のせいかもしれない。そのまま顎を私の膝にのせて、目を細めた。ちょうどそのとき、私は熱いほうじ茶を飲もうとしていて、カップを口に運ぶ直前にムギの重さに気を取られ、危うくこぼしそうになった。猫に邪魔されてやけどをしかけるのは、これで何度目だろう、と心の中でそっとツッコんだ。

猫は一年で人の約四年分も年を取るため、わずかな体調の変化が大きな病気のサインであることが少なくない。
だからこそ、こうして膝に乗ってきたときに、背中をゆっくり撫でながら、肋骨のあたりの感触や毛並みのつやを確かめる。
触れたときの感触や骨の浮き具合は、体調の変化や疾患のサインとして現れることがある。
撫でる手に、いつもより少し骨ばった感じがするような気もした。

結局その日のムギは、夜ごはんを少しだけ食べ、翌朝にはいつもの場所に戻っていた。元気そうに窓の外の雨粒を目で追っていた。ほっとする反面、翌週に動物病院へ連れていくことにした。
「いつもと違う?」という小さな変化として体調不良は現れることが多い。気づいたときは落ち着ける環境を整え、必要なら早めに受診する判断が安心につながる。

猫と暮らすということは、言葉のない相手と、毎日静かに対話し続けることだ。食事に気をつける、動きに気をつける、そして体調に気をつける。それは特別なことではなく、毎朝ごはんを用意するときに器の残り具合を見ること、夕方に廊下を走る音に耳を澄ませること、膝に乗ってきたときに背中を撫でること、そういう日常の小さな積み重ねの中にある。

雨の音が窓を叩く午後、ムギはまたキャットタワーの一番上で丸くなっている。その背中が、規則正しく上下している。それだけで、今日は十分だと思う。

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