本を読む私の膝の上に、猫がいる。邪魔をする猫が愛おしくてたまらない理由

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四月の夕暮れどき、窓から差し込む光がすこし橙色を帯びはじめた頃、私はソファに深く腰を沈めて本を開いていた。架空のインテリアブランド「ノルテリア」のウールブランケットを膝にかけて、ページをめくるたびにかすかな紙の香りが鼻をくすぐる。静かな時間だった。少なくとも、最初の十五分は。

ふいに、重みを感じた。

うちの猫、麦(むぎ)が、音もなく膝の上に乗ってきたのだ。三歳になったばかりのキジトラで、体重はおよそ四キロ。決して軽くはない。しかも彼女は私の持っていた文庫本の上に、ためらいなく前足を置いた。ちょうど物語のクライマックスに差し掛かっていたページの、真ん中あたりに。

読んでいる本の上にわざと座って無理矢理視界に入ろうとする猫は、かまってアピールをしているのだという。
頭ではわかっている。でも、こちらとしては続きが気になって仕方がない。麦をそっとどかそうとすると、彼女はふんっと鼻を鳴らして、今度は本ではなく私の手首に顎をのせてきた。これがまた困る。動かせない。

読書する私と、邪魔をする猫。この攻防は、毎夕のように繰り返される。

子どもの頃、実家にいた猫のことを思い出す。あの頃も同じだった。宿題をしようとノートを広げると、決まって猫が乗ってきた。鉛筆を転がして遊びはじめて、気づいたら消しゴムまで床に落とされていた。怒ることもできなくて、結局いっしょに床でゴロゴロしていた記憶がある。あれは何年生のときだったろう。

麦は今、私の膝の上で丸まりはじめている。ゴロゴロという振動が太ももに伝わってくる。温かい。ブランケットと猫の体温が重なって、もうこれ以上動けないという気持ちになる。本は閉じたまま、私はしばらくその重みを受け入れていた。

飼い主が何かに集中してじっとしていると、猫は飼い主が暇だと勘違いして「そんなに暇なら遊んでよ」とアピールしてくることがある。
なるほど、麦にとって読書中の私は「暇そうにしているのに自分を見てくれない不思議な人間」なのかもしれない。それはそれで、少し申し訳ない気もする。

やがて麦は顔を上げて、じっと私を見つめた。琥珀色の目が夕陽を反射してきらりと光る。瞳孔がわずかに細くなっている。眠いのか、それとも何かを訴えているのか、その境界線はいつもあいまいだ。

「読書していても同じ。そのまま寝てしまうのでこちらは動けなくなる。不自由さも楽しんでいます」
という飼い主の言葉を、どこかで読んだことがある。まさにそれだ、と思った。不自由なのに、なぜか幸せな気持ちになる。これが猫と暮らすということなのだろう。

結局その日、私は本の続きを読めなかった。麦が完全に眠りに落ちるまで、ずっとそのままでいた。片手でそっと背中を撫でると、ゴロゴロという音がまた少し大きくなった。指先に伝わる柔らかな毛の感触と、規則正しい呼吸のリズム。窓の外では、夕暮れがゆっくりと夜に変わっていく。

ふと思う。邪魔をする猫は、実はとても正直なのだと。

飼い主の読んでいる本の上に乗ったりして邪魔をしてくる時も、猫がかまってほしいサインであり、純粋に飼い主にかまってほしいのだという。
それは裏を返せば、私のそばにいたいということだ。本よりも、画面よりも、今この瞬間の私を選んでくれているということだ。そう考えると、邪魔をされることが少しも嫌ではなくなる。

愛おしい猫、というのはこういうことなのかもしれない。完璧な読書時間を奪っていきながら、それ以上のものを置いていく存在。ページをめくれなかった夜ほど、なぜか心が満たされている。麦が膝の上で眠るたびに、私はそれを確かめる。

本はいつでも読める。でも、今日の麦の重みは、今日しか感じられない。

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