猫と暮らす毎日に、体調に気をつけるという小さな習慣を

Uncategorized

ALT

六月の朝は、思いのほか早く明ける。カーテンの隙間から差し込む光が、まだ薄く白くて、ベッドの足元でまるくなっているミルコの毛並みをうっすらと照らしていた。ミルコはうちに来て三年目になる茶トラで、名前の由来は、もらってきた日に飲んでいた「ミルコ・ブランシュ」というブランドのホットミルクだ。架空の名前みたいだけれど、本当にある。いや、正確には、もうそのブランドは近所のスーパーから消えてしまったのだが。

猫と暮らすようになって気づいたのは、彼らが「いつもと同じ」を全身で体現しているということだった。同じ時間に同じ場所で眠り、同じ声で鳴いて、同じ動きでごはんを待つ。その「いつも」が少しでも崩れたとき、はじめてこちらは気づく。体調に気をつける、とはつまり、その「いつもと違う」を見逃さないことだと思う。

ある朝、ミルコがごはんの前にキッチンへ来なかった。いつもは冷蔵庫を開けた音に反応して、廊下をぱたぱたと走ってくる。その音が、なかった。振り返ると、ソファの下の暗い場所に体を押し込んで、じっとしていた。目が合っても動かない。ふだんなら目が合えばすぐ近づいてくるのに。その日の夕方、動物病院で軽い胃腸炎と診断された。食事に気をつけるよう先生に言われ、数日間はウェットフードに切り替えた。

猫は体調が悪くても、つらさを言葉や態度で分かりやすく伝えることがほとんどない。
だから、食欲の変化や動きに気をつけることが、飼い主にできるほぼ唯一のことになる。ミルコの場合は「来ない」という不在が、サインだった。

食事に気をつけるというのは、量や種類だけの話ではないと最近思う。食べる姿そのものを、ちゃんと見ているかどうか。食べ方が遅くなっていないか。途中で離れていないか。水を飲む回数が増えていないか。
食欲が低下したり、繰り返し吐いたり、下痢が続いたりしていないか。
ごはんの時間は、観察の時間でもある。

動きに気をつけることも、同じくらい大切だ。
足を引きずる、ジャンプをしない、よろよろと歩く
といった変化は、骨や関節に何かが起きているサインかもしれない。ミルコは高いところが好きで、本棚の上によく飛び乗っていた。それをしなくなった時期があって、後から思えばあれも初期のサインだったのだろうと思う。当時は「最近おとなしくなったな」と、なんとなく流してしまっていた。

日頃から愛猫の生活リズムを把握しておくことが、変化に気づく第一歩だ。体重や食事量を定期的に確認するだけでも、異変を早く察知できる場合がある。
大げさなことをする必要はない。毎日抱っこするときに、なんとなく軽くなっていないかを感じるだけでいい。手のひらに伝わる温度と重さで、今日のミルコを知る。

子どものころ、実家で飼っていた猫が病気になったとき、母が「もっと早く気づいていれば」と泣いていたのを覚えている。猫は痛みを隠す。野生の名残で、弱みを見せないようにする。
食欲不振はストレスで食欲が落ちるケースも非常に多く、過剰な睡眠も普段より明らかに起きている時間が短い場合、ストレスや体調不良のサインかもしれない。
だから飼い主が気づくしかない。それが責任だし、一緒に暮らすということの意味だと思っている。

先日、ミルコが珍しくわたしの膝に乗ってきた夜があった。梅雨前の蒸し暑い夜で、ふつうなら涼しい床の上に寝そべっているのに。体温が高くて、少し心配になってしばらく撫でていた。鼻をくっつけてきて、ごろごろと低く鳴いていた。熱があるのかと思って体温計を持ってきたら、ミルコはその瞬間にすっと膝から降りていった。計らせてもらえなかった。まあ、翌朝は元気にごはんを食べていたので良かったのだが、あの体温計を持った瞬間の「察知」には、正直少し笑ってしまった。

猫は一年で人の約四年分も年を取るため、わずかな体調の変化が大きな病気のサインであることが少なくない。
それを思うと、毎日の観察は小さいようで、実はとても大きな意味を持っている。体調に気をつけるということは、特別なことではなくて、朝の光の中でミルコの毛並みを見て、今日も同じだと確かめる、その繰り返しでしかない。その積み重ねが、いつかきっと、大切な何かを守ることになると信じている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました