猫に起こされる朝のこと、ベッドの中でまどろみながら思ったこと

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夏の終わりが近いのに、朝の空気はまだ重くて湿っている。カーテンの隙間から差し込む光が、白いシーツの上にうっすらと四角い模様を描いていた。時刻は午前五時四十分。アラームが鳴るまで、あと二十分。

その静けさを破ったのは、小さな四本足だった。

ベッドの端に、かすかな重みを感じた瞬間、わたしの眠りはもうほとんど終わっていた。猫に起こされる、というのはこういうことだ。音ではなく、重さと温度で目が覚める。ふわりと乗り上げてくる感触は、毛布の上からでもはっきりとわかる。体重およそ四キロ。名前はムスビ。キジトラの、三歳になったばかりの雄猫だ。

猫が目覚ましも鳴らない早朝にやってきて飼い主を起こすのは、猫の「あるある行動」として広く知られている。
頭でそれを理解していても、まどろみの中ではなかなか受け入れられない。ムスビはわたしの胸のあたりに前足をそっと置いて、じっとこちらを見ている。瞳孔が細く、金色がかった可愛い瞳がまっすぐにこちらを向いていた。その目には感情があるのか、それとも単純な空腹の信号なのか、寝起きの頭では判断がつかない。

子どもの頃、実家でも猫を飼っていた。あの頃の猫は起こしに来るタイプではなく、むしろ朝になってもこたつの中で丸まったまま出てこなかった。だから「猫に起こされる」という感覚は、ムスビと暮らし始めて初めて知ったことだ。最初の朝、午前四時半に顔を踏まれたときは、夢の中の出来事かと思った。

猫は「こうするといいことがある」と学習すると、その行動を繰り返すようになる。お腹が空いたとき、起こしてみたらご飯がもらえた、という経験を積み重ねて、朝でも飼い主を起こしに来るようになるのだという。
なるほど、とは思う。でも、そんな計算があるとしても、ムスビの仕草はどこか計算っぽくない。ただただ、ここにいたい、という感じがする。

ベッドの中で目を細めながら、手を伸ばしてムスビの顎の下をかいてやる。低く、喉の奥からゴロゴロという音が聞こえてきた。その振動が、手のひらを通じてじんわりと伝わってくる。窓の外では、ヒグラシがまだ鳴いていた。八月の朝特有の、あの少しだけ哀愁を帯びた音だ。

部屋の隅には、先月買ったばかりのキャットタワーが置いてある。「ノルディカホーム」というインテリアブランドのもので、ナチュラルウッドとグレーのファブリックで仕上げられた、見た目のいいやつだ。ムスビはそれをほとんど使わず、毎朝わたしのベッドに来る。四千円近い送料を払った甲斐はどこへ、とは思うけれど、まあ、それはそれでいい。

「ベッドに上がり毛布でフミフミしてから、枕元に座って甘えてくる」という飼い主の声があるように、
猫が起こしに来る方法はそれぞれ違う。ムスビの場合は、まず足元から乗り上げて、少しずつ上に移動してくる。胸のあたりまで来たら、そこで止まる。そしてじっと待つ。その粘り強さは、ある意味で尊敬に値する。

朝の光が少しずつ濃くなってきた。シーツの四角い模様がはっきりしてくる。ムスビの毛並みが、その光の中でわずかに輝いて見えた。

こういう朝が、好きだと思う。正確には、好きだったと気づくのはいつも少し後になってからなのだけれど。ベッドの中でまどろみながら、猫の重みと温度と、ゴロゴロという音に包まれているこの時間は、何かに似ている気がする。うまく言葉にはできないが、懐かしいような、安心するような、そういう感覚だ。

アラームが鳴った。ムスビはその音に少し耳をぴくりとさせただけで、動かなかった。起こしたのは自分なのに、今度は起こされても平然としている。それが猫というものなのかもしれない。わたしはゆっくりと体を起こして、まず彼の頭を一度だけ撫でた。

今日も、猫に起こされた朝が始まる。

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