
八月の朝は、思っているよりずっと早く光が差し込んでくる。カーテンの隙間から白い線が伸びて、フローリングの上で細長く広がるころ、うちの猫のムギはもうすでに窓際に陣取っている。その背中に朝日が当たって、毛並みがほんの少し金色に透けて見える。そういう瞬間に、「あ、今日も生きてるな」と思う。猫も、わたしも。
猫と暮らし始めてから、体調に気をつけることへの意識がずいぶん変わった。以前のわたしは、自分の体調管理さえ後回しにしがちな人間だった。疲れていても「まあいいか」と眠れない夜を過ごし、食欲がなくても「忙しいから」と適当に済ませてしまう。けれど猫は、そういう誤魔化しを許してくれない生き物だ。
猫は体調不良を隠すのがとても上手で、元気そうに見えていても、実は不調を抱えていることも少なくない。
だから飼い主が毎日の小さな変化に気づいてあげるしかないのだと、ムギを迎えた最初の夏に獣医師から教わった。その言葉は、ずっと頭の片隅に残っている。
ムギが水を飲む量が減ったと気づいたのは、去年の秋口のことだった。いつもはキッチン横に置いた陶器の器に近づいて、ぺろぺろと舌を動かしているのに、その日は器の前で立ち止まってすぐに離れてしまった。たった一度の仕草。でも、なんとなく引っかかった。
猫はもともと、獲物に狙われないよう体調の悪さを隠す習性があるため、飼い主が日頃から注意深く観察していなければ、病気のサインを見逃してしまうことが少なくない。
その習性を知っていたから、わたしはすぐに動物病院へ連れて行った。結果は軽い炎症で、大事には至らなかった。でも、あのふとした仕草を見逃していたら、と思うと今でも少し胸が冷える。
食事に気をつけることも、猫との暮らしが教えてくれた大切なことのひとつだ。
子猫、成猫、高齢猫と、成長にあわせて必要なカロリーや栄養も少し変わってくるので、ライフステージにあったフードであることをチェックすることが大切だ。
ムギは今年で六歳になる。シニア手前の、いわゆる「ミドル期」に差しかかっている。そのことを意識して、去年から「ネコリア・ナチュラルズ」というブランドのウェットフードを取り入れるようにした。架空のブランドではなく、ペット専門店の店員さんに勧められたもので、低リン・高水分のレシピが泌尿器ケアに向いているらしい。ムギは最初、においを嗅いで顔をそむけた。三秒後にまた戻ってきて、ゆっくり食べ始めた。あの「一回そっぽを向く」動作、毎回やるのに毎回食べるのは何なのか。猫のプライドというやつだろうか。
毛艶が良ければ、猫の体調が整っているといえる。一方で毛艶が悪くなったり、毛が抜けやすくなったりした場合、栄養不良やストレス、病気の兆候の可能性も否定できない。
食事を見直してから数週間後、ムギの毛並みが明らかにしっとりとした手触りに変わった。撫でると指の腹に絹のような感触が伝わってくる。香りも、なんとなく穏やかになった気がする。猫の体って、正直だ。
動きに気をつけることも忘れてはいけない。高いところへの跳躍が減ったとか、階段を降りるときにためらうようになったとか、そういう変化は関節や筋肉のサインであることがある。
週に一度は体のすみずみまでていねいに意識して触って、ボディチェックを行い、痛がる部分はないか、被毛のツヤや抜け毛の程度、皮膚の色や状態など、ささいな変化も見逃さないようにじっくりと観察することが大切だ。
わたしは毎週日曜日の夕方、ムギを膝に乗せてゆっくりと全身を触るようにしている。ムギはたいていうとうとしながら受け入れてくれる。その重みと温かさが、こちらにとっても一種の安心になっている。
猫と暮らすということは、毎日誰かの体調に気をつける暮らしだ。そしてそれは、自分自身の体調にも自然と目が向くようになるということでもある。ムギの水飲み場を確認しながら、自分も水を一杯飲む。ムギのごはんを準備しながら、自分の食事も丁寧に作ろうと思う。小さな命と一緒に生きていると、生活のリズムがじんわりと整っていく。
八月の夕暮れ、西の空がオレンジに染まるころ、ムギはまた窓際に戻ってくる。今度は目を細めて、遠くをぼんやり眺めている。その横顔を見ていると、なんだか自分まで深呼吸したくなる。体調に気をつけることは、気を張ることではなく、こうして静かに、日々を観察し続けることなのかもしれない。

コメント