
八月の夕方、浴室の扉を開けるたびに思う。今日もまた、この小さな戦争がはじまる、と。
うちには三匹の猫がいる。茶トラのムギ、黒猫のスミ、そして白地にグレーのぶち模様が入ったコムギという名前の末っ子。三匹とも性格がまったく違って、猫の入浴に対する反応もそれぞれだ。ムギはあきらめが早く、ぐったりとした顔でお湯に浸かる。スミは最初の五秒だけ全力で抵抗し、あとは静かになる。コムギはというと、浴室に入った瞬間から鳴き声のボリュームが三段階上がる。
シャワーをかけられた猫が「この世の誰も信じられない」という顔をするというのは、SNSで話題になった話だが、コムギはまさにそれだ。
飼い主への信頼が、お湯一杯分ずつ削れていくような気がして、少し申し訳なくなる。
それでも、きれいにしよう、という気持ちは変わらない。
猫は本来、自分で毛づくろいをする生き物だ。
体臭がほとんどなく、わずかな臭いも毛づくろいで消しているため、頻繁に入浴させる必要はない。
それはわかっている。でも夏の終わりに向かうこの季節、外の熱気が窓から忍び込んでくる八月の夕暮れどきは、なんとなく「さっぱりさせてあげたい」という気持ちが高まる。子どもの頃、祖母の家で縁側に座ってスイカを食べながら、飼い猫のトラを盥(たらい)で洗っていたあの夏の記憶が、毎年この時期になると蘇る。トラはそのとき、ものすごく怒っていた。
浴室はにぎやかだ。三匹を順番に洗うので、待機中の猫が扉の前でうろうろし、鳴き、ときどき扉を前足でひっかく。その音が廊下に響く。シャワーの水音、猫の抗議の声、タオルで包んだときのもふもふした重さ、そしてシャンプー後の甘い石けんの香り——すべてが混ざり合って、うちの浴室はしばらく独特の空気に包まれる。
猫をなるべくポジティブな体験にするために、おやつを準備しておくといいと聞いて
、最近は「ネコバレ・リワードトリーツ」という国産の猫用おやつを洗い終わりに渡すようにしている。これが功を奏したのか、スミだけはお風呂後に自分からおやつを催促するようになった。学習が早い。
お湯は首あたりまでにして、顔が濡れないようにするのが基本だ。シャワーの音や水しぶきが苦手な猫が多いので、できるだけシャワーを使わずに洗うほうがいい
、と知ってからは、小さな桶でお湯をすくいながらゆっくりかけるようにしている。焦らない。急がない。それが三匹と向き合ってきた三年間で学んだことだ。
ちなみに先週、コムギを洗い終えてタオルでくるんだとき、あまりにも抵抗されたせいでタオルの向きを間違えて、顔だけが出た状態で体がすっぽり包まれてしまった。コムギはしばらくそのまま、ぽかんとした顔でこちらを見ていた。怒るタイミングを逃した、という表情だった。
猫がお風呂を嫌がる理由はいくつかあるが、心臓から遠い足先やしっぽの先から少しずつ濡らし始め、水の感触に慣れる時間をつくることが大切だ
。ムギにはそれがよく効いた。最初の頃は暴れていたのに、今では足先にお湯をかけると「ああ、またこれか」という顔でおとなしくなる。慣れとはおそろしい。
洗い終えた三匹が、それぞれのお気に入りの場所でドライヤーの温風を受けながら毛を乾かしている様子は、にぎやかだった浴室の時間とは打って変わって、静かで穏やかだ。湿った毛がふわりと乾いていくにつれて、猫たちの輪郭がもとの柔らかさを取り戻す。スミが目を細め、うとうとし始める。その小さな体が、ゆっくりと重力に従って沈んでいくのを見ていると、こちらまで眠くなってくる。
猫の入浴は、手間がかかる。体力もいる。でも終わったあとのこの静けさが、なんとなく好きだ。きれいにしよう、という気持ちと、きれいになった、という満足感が、夕暮れの光の中でゆっくり溶け合う時間。それがうちの、八月の夕方の話だ。

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