
窓の向こうに、雨が降っている。
九月の終わりにしては少し重たい空で、朝から薄暗いままだった。カーテンを開けると、すぐそこにソラがいた。三歳になる薄茶のキジトラで、窓枠に前脚をのせ、じっと外を見つめる猫の横顔がそこにあった。声もなく、動きもなく、ただ静かに、雨の外を見つめていた。
わたしも隣に腰を下ろした。特に理由はなかった。ただ、そうしたくなったのだ。
外は雨。アスファルトが濡れて光り、向かいの家の軒先から細い水の筋が落ちている。ときおり風が吹いて、植木鉢のシダが揺れた。その揺れに合わせて、ソラの耳がわずかに動く。見ているのか、聴いているのか、それとも匂いを嗅いでいるのか。ガラス越しに届く雨の気配を、彼女なりの方法で受け取っているのだろう。
子どもの頃、雨の日が好きだった。正確には、雨の日の「家の中」が好きだった。外が騒がしくなるほど、室内がしんとして、自分だけの時間が生まれる気がした。母が台所で何かを煮ていて、出汁の香りが廊下まで流れてくる。その感覚を、今日の午後に少しだけ思い出した。コーヒーを淹れたのは、たぶんそのせいだ。
マグカップを両手で包むと、じんわりと温かい。ブランドはたしか「ノルドヘイム」という北欧系の雑貨店で買ったもので、少し重めの陶器だ。その重さが、なんとなく今日の気分に合っていた。コーヒーの香りが漂った瞬間、ソラがこちらを向いた。目が合う。そして三秒ほどわたしを見てから、また窓の外へ視線を戻した。完全に無視、というわけでもない。でも、興味はそっちではないらしい。
一緒に見つめる私、というのは少し大げさかもしれない。正確には、猫が見ているものをわたしも見ている、というだけだ。それでも、同じ方向を向いてしばらく黙っていると、何か共有しているような気持ちになってくる。
雨粒がガラスを伝う。ひとつの粒が途中で別の粒と合流して、すっと下へ流れた。ソラの視線がそれを追う。わたしの目も自然とそこへ引き寄せられた。音は、ほとんどない。外の雨音はガラスに吸われて、室内にはかすかなざわめきだけが届いている。
ふと気づくと、ソラが小さくあくびをした。口を大きく開けて、目を細めて、それから静かに閉じる。見事なまでの脱力感だった。わたしも思わず、つられてあくびをしてしまった。猫のあくびにつられるとは思っていなかったので、少しだけ恥ずかしかった。誰も見ていないのに。
雨の外を、猫と一緒に見つめる時間というのは、何かを考えるわけでも、何かを解決するわけでもない。ただ、そこにいる。それだけの時間だ。スマートフォンも開かなかった。本も読まなかった。コーヒーが少しずつ冷めていくのを感じながら、窓の向こうの雨を見ていた。
外を見つめる猫は、何を思っているのだろう。狩りに出られない本能的な焦りがあるのか、それとも単純に雨粒の動きが面白いのか。どちらでもいいような気がした。彼女がそこにいて、わたしもそこにいる。それで十分だった。
雨はまだ続いていた。空は明るくなる気配を見せない。でも、不思議と焦りはなかった。こういう午後が、たまにあってもいい。ソラの背中に手を置くと、温かくて、ゆっくりと呼吸しているのがわかった。その小さな体温が、今日いちばん確かなものだった。

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