本を読む私の膝の上に、猫はいつもいる

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五月の夕方は、光がやわらかく斜めになる。窓から差し込む西日が、フローリングの上にオレンジ色の長い四角形を描いていた。その日わたしは、ずっと積んでいた小説をようやく手に取り、ソファに深く沈み込んだ。カモミールとほんのり蜂蜜の香りがするハーブティー、「ルナフィールド」のブレンドをマグカップに注いで、さあ読むぞ、と静かに気合いを入れたのを覚えている。

最初の十ページほどは、平和だった。

ページをめくる音だけが部屋に響いて、物語の中に少しずつ引き込まれていく感覚。主人公が雨の夜に古い図書館へ迷い込む場面で、わたしも息をひそめた。そのとき、ふいに温かいものが膝の上にのしかかってきた。うちの猫、むぎが来たのだ。

むぎはロシアンブルーの雑種で、毛並みはグレーがかったシルバー、目だけが深い琥珀色をしている。ふだんは気ままに昼寝をしているくせに、読書する私が本に集中しはじめると、なぜか必ずやってくる。
飼い主が熱中しているものは猫も気になるもので、「なにそれ、おもしろいの?」という気持ちで邪魔をしているのかもしれない
と何かで読んだことがあるが、むぎの場合は少し違う気がする。あれは純粋に、わたしのことが心配なのだと思う。

膝の上に乗るだけならまだいい。むぎはそこからさらに、本の表紙に前脚をぽんとのせてくる。まるでしおりを挟むように。わたしが視線を落とすと、琥珀色の目でじっとこちらを見上げてくる。
猫が飼い主を見つめるのは、遊びやごはんを期待しているサインかもしれない
と言われるけれど、むぎのその目には要求というよりも、確認のような色がある。「ちゃんとここにいるよ」と伝えているような、そういう目だ。

わたしには子どもの頃、実家で飼っていた三毛猫のことを思い出す。あの子も、母が台所で料理をしていると足元をぐるぐると歩き回り、本を読んでいる父の新聞を一枚ずつ引っ張り出して床に散らかしていた。猫というのはどの時代も、どの家でも、同じことをするのだなと、少しおかしくなる。

猫は飼い主が自分以外の何かに集中している素振りを見せると、不安な気持ちに陥ってしまう
。邪魔をする猫の行動は、そういう繊細な感情から来ているらしい。むぎがわたしの膝に乗り、本に前脚をのせるのも、きっとそういうことなのだろう。「わたしのことを忘れないで」という、小さな、けれど切実なメッセージ。

その日のむぎは、いつもより念入りだった。膝の上でくるりと一回転して、ようやく落ち着いたと思ったら、今度はマグカップのそばに顎をのせてじっとしている。湯気がむぎのひげを揺らした。カモミールの香りを嗅いで、一度だけふんと鼻を鳴らした。気に入らなかったらしい。心の中で「お前はハーブティーを飲まないだろう」とツッコんだのは、ここだけの話だ。

読書していても膝に乗ってきて、そのまま寝てしまうので飼い主は動けなくなる、という不自由さも楽しんでいる
、という声をどこかで見かけたことがある。まさにそれだ、とわたしは思う。むぎが眠りにつくと、わたしは身動きが取れなくなる。足がしびれても、トイレに行きたくなっても、しばらくは動けない。それでも不思議と、苦にならない。

読書する私の時間は、むぎが来た瞬間から少しだけ変容する。物語の中にいながら、同時にむぎの呼吸を感じている。ゆっくりと、規則正しく上下する温かい重さ。その感触がある限り、ページをめくる手も自然とゆっくりになる。

膝の上は温かく、安心できる空間なのかもしれない
、と専門家は言う。でもそれはわたしにとっても同じで、むぎが膝にいる夕方の読書は、どんな一人の時間よりも満ち足りている。

邪魔をする猫、と言葉にすると少し不服そうに聞こえるけれど、むぎのそれは邪魔ではなくて、一緒にいたいということだ。愛おしい猫というのは、そういうものだと思う。かまってほしくて本の上に前脚を置いてくる、その小さな重さのぶんだけ、わたしの日常は豊かになっている。

西日がフローリングからソファの端まで伸びてきた頃、むぎはようやく深く眠りについた。わたしはそっとページをめくる。物語の続きを、むぎの寝息とともに読んだ。

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