
五月の朝は、思ったよりも早く光が入ってくる。
カーテンの隙間から差し込む白みがかった朝の光が、まぶたの裏をうっすらと照らしはじめた頃、わたしはまだベッドの中にいた。意識は夢と現実のあいだをゆっくりと漂っていて、体は重く、シーツの冷たさと温かさが混在するあの独特のまどろみの中にあった。起きなければ、と思う気持ちと、もう少しだけ、という気持ちが静かに綱引きをしている。そういう朝が、好きだ。
そこへ、やってくる。
足音もなく、気配だけがふわりと近づいてきて、気づいたときにはもう鼻先に温かいものが触れていた。猫だ。うちのロシアンブルー、「そら」が、わたしの顔のすぐ横に座っていた。ベッドの中でまどろんでいるわたしを、あの静かな眼差しでじっと見下ろしている。
そらの瞳は、薄暗い朝の光の中でもはっきりと輝いていた。緑がかったグレーの、可愛い瞳。猫に起こされる、という経験をしたことのある人なら分かると思うけれど、あの目に見つめられると、もう眠り続けることができなくなる。責めているわけでも、怒っているわけでもない。ただ、静かに、「いるよ」と言っているような目。それがかえって、こちらの罪悪感を刺激する。
子どもの頃、実家で飼っていた猫も同じだった。名前はムギ、茶トラの雑種で、毎朝決まって六時ごろにわたしの布団の上に乗ってきた。あの頃は「うるさいな」と思いながら追い払っていたけれど、今になって思えば、あれは愛情表現だったのかもしれない。起こしに来るということは、そこにいると知っているということだから。
そらは、鳴かない。前足でそっとわたしの頬に触れるだけだ。ぺたり、と。その感触が、夢よりもずっとリアルで、やわらかい。毛の密度がちょうどよくて、冷たくも熱くもなく、ただ「生きている」という感触だけがある。その一触れで、わたしの意識はするりと現実へ引き戻される。
ため息をついて、目を開ける。
天井が見える。窓の外で、どこかの鳥が鳴いている。朝の空気の匂いが、わずかに部屋の中に漂っている。五月の朝の匂いは、草と湿り気と、かすかな花の残り香が混ざったような、名前のつけようのない清潔さがある。インテリアショップ「ノルテリア」で買ったリネンのシーツが肌に触れる感触も、この瞬間だけは特別に心地よく感じられた。
そらはわたしが目を開けたのを確認すると、満足したように一度だけ短く鳴いて、くるりと向きを変えた。そしてそのまま、ベッドの足元にぽてんと丸まって、目を閉じた。
……あなたが起こしたんですけど。
心の中でそっとツッコミを入れながら、わたしは苦笑した。猫に起こされる朝というのは、いつもこういうものだ。起こした本人はすでに夢の中へ戻っていき、起こされたほうだけが目を覚ました状態で取り残される。理不尽といえば理不尽だが、なぜかそれが腹立たしくない。むしろ、少しだけ愛おしい。
ベッドの中でまどろんでいたあの数十分は、もう戻らない。でも代わりに、そらの可愛い瞳と、頬への一触れと、五月の朝の匂いが手元に残った。それはそれで、悪くない朝の始まりだと思う。
猫に起こされる朝は、いつも少しだけ、世界がやさしい。

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