
四月の終わりの土曜日、午前十時過ぎ。窓から差し込む春の光が洗面台のタイルをぼんやり白く照らしていた。その日、わたしはついに決意した。うちの二匹の猫を、まとめて洗う、と。
猫は起きている時間の三割ほどを使って毛づくろいをする。舌のザラザラした突起で被毛の汚れを取り除き、自力できれいに保てる生き物だ。
頭ではわかっている。でも、長毛のノルウェージャンフォレストキャット「ムース」の首まわりが、最近なんとなくくすんで見える気がして、どうにも落ち着かなかった。もう一匹の短毛のスコティッシュフォールド「ゴマ」は、まあついでに、という感じだった。ついで、のつもりだった。
浴室のドアを開けると、ひんやりとした湿気がふわりと顔に触れた。
お湯の温度は30〜35℃程度のぬるま湯が基本だ。
シャワーヘッドを握りながら温度計を確かめ、ムースをそっと抱え上げる。このとき彼は、わたしの腕の中でまだ眠そうにしていた。目を細めて、うとうとするような仕草で、まるで何も知らないかのように。――そのあとのことを、まだ知らないかのように。
シャワーをかけた瞬間、ムースは別の生き物になった。
低く、長い唸り声。後ろ足で浴槽の縁を蹴り、全力で脱出を試みる。わたしは必死に抱え直しながら、「きれいにしようね、きれいにしようね」と呪文のように繰り返していた。猫用シャンプー「ポーラスタードロップ(架空)」の泡を手のひらで伸ばし、背中から腹へ、尻尾の先まで丁寧に揉み込む。
脇の下や足の裏、顎やお腹などは死角になりやすくシャンプーも溜まりやすいので、流すときは特に丁寧にする必要がある。
それを思い出しながら、ムースの抵抗をかいくぐって、すすぎを繰り返した。
浴室はにぎやかだった。というか、うるさかった。
ムースの声に反応したのか、廊下でゴマが「なんかあった?」という顔で待機し始めた。ドア越しに聞こえる鳴き声が、なんとなく応援しているようにも、「次は俺か」と覚悟しているようにも聞こえた。たぶん後者だと思う。
ムースをバスタオルで包んで、ドライヤーをかける。
ある程度水気がとれたら、ドライヤーをLOWにして温風にし、猫ちゃんに近くなりすぎない位置から、手ぐしをしながら十分に乾かす。仕上げはブラシで毛並みを整えて終了だ。
ドライヤーの音に少し慣れてきたムースは、最初こそ耳を伏せていたが、やがて目を細めて、うっとりとした表情になっていった。温風が気持ちいいのかもしれない。そのまま膝の上でとろけるように丸まった。――さっきまであんなに暴れていたのに。思わず心の中でツッコんだ。
ふと、子どものころのことを思い出した。実家で飼っていた雑種の「チャー」を、父と二人がかりで洗ったあの夏の午後。チャーはもっと激しく暴れて、わたしも父もびしょ濡れになった。笑いながら、怒られながら、それでも楽しかった記憶がある。猫の入浴というのは、いつの時代も、静かには終わらないものらしい。
次にゴマを連れてきたとき、彼はすでに諦めた顔をしていた。
子猫のころからお湯に慣れさせておくと、お湯に浸かることを気持ちよいと感じてくれる子になっていく。
ゴマはそういう幸運な育ちではなかったが、ムースほど激しくは抵抗しなかった。ただ、ひたすらに遠い目をしていた。その目がなんとも言えず、哀愁があった。
長毛種は自分でやる毛づくろいだけでは被毛の汚れが取れないので、定期的にお風呂に入れてあげるのがよいとされている。
ムースのような長毛種にはとくに、きれいにしようという気持ちが大切になる。でも、それ以上に大切なのは、猫のペースに合わせること、怖がらせないこと、そして終わったあとにたっぷり褒めて、おやつを渡すこと。
二匹が乾いて、ふかふかになって、それぞれ好きな場所に丸まったとき、浴室にはシャンプーのほのかな香りだけが残っていた。窓の外では、春の風が柔らかく揺れていた。わたしはびしょ濡れのまま、しばらくそこに立っていた。
猫の入浴は、にぎやかで、少しだけ大変で、でも不思議と、終わったあとは清々しい。またひと月後、同じことをするんだろうと思いながら、わたしはタオルを洗濯機に放り込んだ。

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