
九月の終わりの朝、窓から差し込む光がほんの少しだけ角度を変えた気がした。夏のあいだあんなに眩しかった朝日が、今はやわらかく床を斜めに照らしている。その光の中に、うちの猫のムギが丸まっていた。白と茶のまだら模様が、まるでパンの耳みたいにくるりと丸まって。
季節の変わり目というのは、猫にとっても決して小さくない出来事だ。
気温が下がりはじめると、猫の体調に気をつけることが自然と増える。ムギを迎えてから三年目の秋、わたしはようやく「いつもと違う」という感覚の解像度が上がってきた気がしている。それまでは見落としていたことが、少しずつ見えるようになってきた。たとえば、朝ごはんのあとにいつもするグルーミングを途中でやめてしまうこと。窓際の定位置ではなく、押し入れの隅っこにひっそりと移動していること。そういうかすかなズレが、体調のサインであることを、猫はことばのかわりに教えてくれる。
猫にとって食事は、単なる栄養補給ではなく、生活のリズムを整える大切な時間だ。
だからこそ、食事に気をつけることは体調管理の根幹になる。わたしが使っているのは「ノルテ・ナチュラル」という架空の国産ブランドのウェットフード。少し値が張るけれど、ムギの食いつきが明らかに違う。
ドライとウェットを併用することで、水分補給を自然にサポートし、泌尿器系疾患の予防にも効果的だ
と知ってから、毎晩少量のウェットを混ぜるようにした。
ちなみに、はじめてウェットフードをスプーンで皿に盛ろうとしたとき、ムギがあまりにも真剣な目でわたしの手元を見つめるものだから、緊張してスプーンを床に落としてしまった。静かな台所に「カラン」という音だけが響いて、ムギはぴくりとも動かず、ただじっとわたしを見ていた。あの目は「早くしろ」以外の何物でもなかった。
猫の成長段階によって必要な栄養素やカロリーは異なる。
ムギはもう三歳を過ぎたから、成猫向けのフードに切り替えて久しい。
月に一回体重を測定し、肥満にならないよう食事量を調整する
ことも、今では習慣になっている。体重計に乗せるたびにムギは不満そうな顔をするが、それもまた愛おしい。
動きに気をつけることも、同じくらい大切だ。
猫は被毛に覆われているため見た目では気づきにくいが、触れたときの感触や骨の浮き具合は体調の変化のサインとして現れる。
わたしは週に一度、ムギを膝に乗せてゆっくりと全身を撫でるようにしている。背骨の感触、腰まわりの肉付き、足の先まで。撫でながら確かめる、というよりも、確かめながら撫でている、という順番かもしれない。ムギはそのあいだ、うとうとしながらも時々ゴロゴロと喉を鳴らす。あの振動が手のひらに伝わってくる感触は、何度感じても温かい。
愛猫との日頃からのスキンシップは信頼関係を深めるためにも有効で、週に一度はボディチェックを行い、ささいな変化も見逃さないようにじっくりと観察することが大切だ。
秋の夕暮れどき、部屋にはほのかにインセンスの香りが漂っている。「ヒノキと白檀」と書かれたスティックをひとつ灯すのが、最近の夕方の習慣になった。ムギはその煙を少し離れたところから眺めながら、前足を揃えてお行儀よく座っている。その姿を見るたびに、子どもの頃に祖母の家で嗅いだ線香の香りをふと思い出す。あの縁側で、野良猫がひとり日向ぼっこをしていたこと。猫というのは昔から、人の暮らしのそばにいる生き物なのだと、改めて感じる。
室内で暮らす猫であっても、年に一回は健康診断を受けることが推奨されており、血液検査や尿検査で腎臓病や糖尿病などの早期発見につながる。
体調に気をつけるというのは、毎日の観察の積み重ねでもあるし、定期的に専門家の目を借りることでもある。どちらか一方ではなく、両方が揃ってはじめて、猫の「いつも通り」を守ることができるのだと思う。
猫と暮らすということは、言葉を持たない相手の声を、毎日少しずつ聞き取っていく作業に似ている。食事の食べっぷり、歩き方のわずかな変化、朝の光の中でまどろむ姿。そのひとつひとつが、今日も元気でいるというメッセージだ。ムギが今朝も窓辺で丸まっているのを見て、わたしはそっと胸を撫で下ろす。今日も、いい一日になりそうだ。

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