猫と私の、まったりした食事の時間

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八月の朝は、思ったより早く部屋の中に入ってくる。カーテンの隙間からこぼれた光が、フローリングの上に細長い帯をつくっていた。その帯の上で、うちの猫——名前はムギ——が目を細めて丸くなっている。まるで最初からそこにあったかのように、ぴたりとはまっている。

猫と暮らすようになって、三年が経つ。

最初は正直、こんなにも生活が変わるとは思っていなかった。朝の動きかたが変わった。食事の時間が変わった。部屋の静けさの質、とでも言えばいいのか、そういうものまで変わった気がする。以前の私は、朝ごはんをほとんど食べない人間だった。コーヒーだけ飲んで、バッグを引っつかんで出かける、そういう暮らし。でも今は違う。

ムギの食事の時間が、私の食事の時間になった。

朝七時ごろ、ムギが布団の端をちょんちょんと叩く。起き上がると、もうキッチンのほうへ歩いていく。振り返りもしない。ついてこい、という意思表示らしい。私はそれに従って、眠い目をこすりながらフードを用意する。カリカリをボウルに注ぐ音が、静かな部屋に小気味よく響く。ムギは食べる。私はコーヒーを淹れる。それだけのことなのに、なぜか満たされた気持ちになる。

子どもの頃、実家に犬がいた。犬の食事の時間はもっと賑やかで、しっぽを振って、皿をぺろぺろ舐めて、食べ終わったらまたしっぽを振る。猫はそうじゃない。食べ終わったら、ふいと別の場所へ行って、毛づくろいを始める。礼儀正しいのか、それとも徹底的にマイペースなのか。おそらく後者だと思う。

猫と私の食事が、こんなに近くなるとは思っていなかった。

先日、インテリアブランド「ノルテリア」のフードスタンドを買った。天然木でできた、猫のボウルを置くための小さな台。ムギの首への負担が減るらしいと聞いて、迷わず購入した。届いた日に組み立てて、ボウルをセットして、ムギに見せたら——三秒ほど匂いを嗅いで、完全に無視された。その後五分くらいして、何事もなかったかのように食べていた。私の「どう?かわいいでしょ?」という問いかけへの返答は、ついぞ得られなかった。

夏の午後、部屋はやわらかく暑い。エアコンの風がうっすら流れて、ムギの毛がときどきふわりと揺れる。私はアイスティーを飲みながら、本を読んでいる。ムギは窓際で、外を眺めている。何を見ているのかはわからない。鳥かもしれないし、葉っぱかもしれないし、あるいはただぼんやりしているだけかもしれない。

猫と暮らすということは、こういう時間の積み重ねだと、最近ようやく思えるようになった。

劇的なことは何もない。ムギが大病を患ったわけでも、奇跡的な出来事があったわけでもない。ただ、朝の光の中で丸くなっていて、食事の時間になると台所へ先導して、食べ終わったら毛づくろいをして、また眠る。それだけの繰り返し。でも、その繰り返しの中に、確かな重さがある。

私が疲れて帰ってきたとき、ムギは玄関まで来ない。ソファの上から、じっとこちらを見ている。それだけ。でも、その視線が、何かをほぐしてくれる。言葉じゃないし、抱擁でもない。ただの視線。それで十分だと、今は思っている。

猫と私の食事の時間は、今日も静かに続く。

窓の外では、夏の蝉が鳴いている。ムギはまた目を閉じた。私のアイスティーは、いつの間にかぬるくなっていた。

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