猫に起こされる朝、ベッドの中でまどろむ幸福について

Uncategorized

ALT

夏の終わりが近づいてきた、八月の明け方のことだった。

カーテンの隙間から、まだ白みきらない光が細く差し込んでいた。室温はエアコンのおかげで少し冷えていて、布団の端をそっと引き寄せていたのを覚えている。ベッドの中は、そういう時間にだけ存在する特別な温度がある。外の世界とも、昼間の自分とも切り離された、やわらかくて少し重い空気。まどろみの中で、意識はゆっくりと夢と現実のあいだを漂っていた。

そこへ、来た。

ふわりとした重みが、足元にのってきた。次の瞬間、その重みはゆっくりと布団の上を歩き始め、膝のあたりを通り過ぎ、腰のあたりで一度止まった。四つの肉球がひとつひとつ、確かめるように体の上を進んでくる。その感触は、小さいのに妙にしっかりとしていて、夢の続きを壊すには十分だった。

うちの猫、ムギが起こしに来たのだ。

ムギは三歳の茶白猫で、朝ごはんの時間になると判で押したように私を起こしに来る。最初のうちは、枕元でニャアと鳴くだけだった。それが半年もたつと、鼻先をつついてくるようになり、今では胸の上に仁王立ちして、可愛い瞳でまっすぐにこちらを見下ろしてくる。あの目には、懇願でも命令でもない、もっと静かな確信のようなものが宿っている。「あなたは起きる」と、最初から決めているような目だ。

子どものころ、実家に猫はいなかった。だから猫に起こされるという経験を初めてしたとき、こんなにも丁寧に、こんなにも真剣に起こしてもらえるものかと、少し感動した記憶がある。アラームはいつも乱暴に世界を断ち切るけれど、ムギの起こし方にはなぜか、怒りが湧かない。

布団の中で目を細めながら、ムギの顔を見上げる。朝の光の中で、その毛並みはオレンジがかって見えた。インテリアショップ「ソラマド」で買った薄いリネンのシーツが、体の下でひんやりとしている。ムギはそのシーツの上に前足を置いて、ふみふみと小さく踏み始めた。ゴロゴロという振動が、手のひら越しに伝わってくる。

ここで正直に書いておくと、私はそのまま二度寝しようとした。

ムギを撫でながら目を閉じ、もう少しだけこのまま、と思ったのだ。しかしムギはそれを許さなかった。しばらくするとふいに、鼻先を私の頬にぐいっと押しつけてきた。冷たくて、湿っていて、思ったより力強い。思わず「わっ」と声が出た。ムギは一歩後ずさりして、また例の可愛い瞳でこちらを見た。しれっとした顔で。そのあまりにも堂々とした態度に、笑ってしまって、もう眠れなかった。

猫に起こされるというのは、つまりそういうことだ。

ベッドの中でまどろんでいるあいだ、人間は自分の時間の中にいる。でも猫はそこへ、なんの遠慮もなく入ってくる。それが不思議と、嫌ではない。むしろ、起こされた後のほうが、一日が少しだけ丁寧に始まる気がする。キッチンに立って、ムギのごはんを用意する。プルトップを開ける音に反応して、足元でくるくると回るムギ。窓の外では、蝉がまだ眠たそうに鳴き始めていた。

八月の朝は、こうして始まる。

猫がいなければ、もう少し長く眠っていたかもしれない。でもたぶん、それほど豊かな朝ではなかっただろうと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました