
七月の夕暮れ、窓から差し込む光がオレンジ色に部屋を染めはじめる時間帯に、私はいつもソファに深く沈み込んで本を開く。その日も、ずっと積ん読にしていた一冊をようやく手に取った。冷房の効いた部屋には、かすかにコーヒーの香りが漂っていた。「ルシエール・ブレンド」という名の豆を自分で挽いて淹れた、少しだけ苦みの強い一杯。湯気が細く立ちのぼるマグカップをサイドテーブルに置いて、ページをめくった瞬間だった。
どすん。
重みが、膝の上に落ちてきた。
うちの猫、ムギだ。三歳になるキジトラで、体重は堂々の五キロ。決して軽くはない。しかも今日は特別気合いが入っているのか、本の上にぴたりと前脚を揃えて座り、私の顔をじっと見上げてくる。その目が言っている。「ねえ、私のことも見て」と。
読書する私にとって、これはもう何度目の邪魔をする猫との攻防だろう。ページをずらそうとすると、ムギはさらに体重をかけてくる。まるで「逃がさない」と言わんばかりに。仕方なく本を少し持ち上げると、今度は顎を私の手首にのせてくる。その柔らかな感触と、ゴロゴロという低い振動が、腕の内側に伝わってくる。
子どもの頃、実家にも猫がいた。あの頃は宿題をするたびにノートの上に乗ってきて、鉛筆を転がしては得意げにしていたのを覚えている。当時は本当に困っていたのに、今となってはその記憶がやけに温かい。猫というのはいつの時代も、人間が何かに集中しようとするたびに、静かにその邪魔をしにやってくる生き物なのだ。
専門家によれば、
猫は読書やパソコンといった作業の意味を知らず、飼い主がヒマそうにしているように見えてしまう
のだという。ムギからすれば、私がソファで静かに固まっているのは「暇そうにしている」以外の何物でもないのだろう。そう思うと、なんだか笑えてくる。百ページ近く読み進めた推理小説のクライマックス、まさに犯人が明かされようとしているその瞬間に割り込んでくるムギは、ある意味で世界一タイミングの悪い存在だ——と心の中でそっとツッコんだ。
それでも、邪魔をする猫を退けようという気持ちにはなれない。
ムギの背中に手を置くと、指の間に細かな毛の感触が広がる。夏の室内でも、その体はほんのりと温かい。鼻を近づけると、日向ぼっこをしていたときの残り香のような、乾いた草のにおいがする。ゴロゴロという音は、部屋の静けさの中でいっそう大きく聞こえた。本はもう、読めない。でも、それでいい気がした。
飼い主が本を読み始めると必ずやってきてかまってほしいアピールを始める——「本を読む=猫と過ごす時間」というルールがすっかりできあがっている
という話を、どこかで読んだことがある。まさにうちもそうだ。ムギにとって、私が本を開くことは「一緒にいる合図」になっているのかもしれない。
愛おしい猫、というのはこういうことだと思う。便利な存在でも、役に立つ存在でもなく、ただそこにいて、こちらの都合などお構いなしに甘えてくる。その理不尽さが、なぜかひどく愛しい。
窓の外はもう暗くなっていた。コーヒーはとっくに冷めていた。ムギは気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らしながらうとうとしはじめている。私はそっとページに栞を挟んで、本を閉じた。続きはまた明日でいい。今夜はこのまま、ムギの重みを膝に感じながら、もう少しだけこうしていようと思う。
読書する私の時間を、今日もまた猫が塗り替えていった。それがどうしようもなく、幸せだった。

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