猫がそっと教えてくれること——一緒に暮らすから気をつけたい、体調・食事・動きのはなし

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梅雨の晴れ間、午後二時ごろの光がフローリングに斜めに差し込んでいた。その光の帯の上に、うちの猫のムギがぴたりと体を伸ばして寝ていた。目を細め、ときおり耳だけをぴくりと動かしながら、まるで時間そのものを溶かしているようだった。ああ、こういう午後があるから猫と暮らすのをやめられない、と思った瞬間だった。

猫と暮らし始めて三年が経つ。最初の一年は、正直なところ何もわからなかった。ごはんをあげて、トイレを掃除して、遊んで——それだけで精一杯だった。でも今は少し違う。ムギの「いつもと違う」に気づけるようになった。それは経験というより、毎日の積み重ねが自然と育てた感覚だと思っている。

体調に気をつけるということは、猫との暮らしにおいて「観察する」ということとほぼ同義だ。猫は不調を言葉にしない。鳴いて訴えることもほとんどない。だから飼い主側が、日々の小さなズレを拾い上げるしかない。ムギがいつもは必ずする「朝のごはん前の一鳴き」をしなかった朝、わたしはすぐに気づいた。そしてその日の夕方、ムギは少し熱っぽく、体がいつもより重そうに見えた。あのとき気づけてよかった、と今でも思う。

食事に気をつけることも、体調管理の核心にある。猫は本来、少量を複数回に分けて食べる動物だ。ムギに与えているのは「ノルドフィーユ」というブランドのウェットフード。少し値が張るが、原材料がシンプルで、獣医師にも勧められた。食べる量、食べるスピード、残し方——これらが変わったとき、体のどこかにサインが出ていることが多い。先月、ムギが急にドライフードを残すようになったとき、よく見ると歯茎がうっすら赤くなっていた。歯周病の初期だった。食事の変化が、病気の入口を教えてくれたのだ。

動きに気をつけることも同じくらい大切だ。猫の動きは、健康のバロメーターそのものといっていい。ジャンプの高さ、着地の仕方、歩くときの腰の揺れ——健康なムギは、棚の上から音もなく降りてくる。でも調子が悪いときは、いつもより慎重に、少し迷うように降りる。その「迷い」がわかるようになったのは、毎日見続けてきたからだと思う。

子どもの頃、実家に猫がいた。茶トラの「ゴン」という名前で、とにかく食いしん坊だった。ある夏、ゴンが急に食欲をなくしたとき、家族みんなが慌てた。母が「猫は痛みを隠す生き物だから」と言っていたのを、大人になった今もよく思い出す。あのときの記憶が、今のわたしの「気にかける習慣」の原点になっている気がする。

ちなみに、体調チェックの記録をスマホのメモにつけ始めたとき、最初の一週間でムギの体重を三回間違えて記録していたことに後から気づいた。キログラムとグラムを混同していたのだ。ムギが4.2kgのところを「4200」と書いていて、「この猫、小さな子どもより重い」と一瞬本気で焦った——という、我ながら笑えない失敗談がある。

六月の今、梅雨の湿気が部屋にこもりやすい季節になった。湿度が高くなると猫もだるそうにすることがある。除湿機をかけると、ムギは少しだけ動きが軽くなる。部屋の空気が変わると、猫の体も変わる。そういう細かい関係性が、一緒に暮らすことで見えてくる。

窓の外から、遠くで雨の気配がした。ムギはまだ光の帯の上で眠っている。その小さな体の呼吸を、わたしはしばらくただ見ていた。体調に気をつけるとか、食事に気をつけるとか、動きに気をつけるとか——そういう言葉を超えたところで、ただこの子といる時間を大切にしたい、と思っている。それがきっと、猫と暮らすということの、いちばんシンプルな答えなのかもしれない。

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