
八月の午後というのは、どうしてこんなに長いのだろう。
窓の外では蝉がまだ鳴いていて、室内の空気はエアコンで冷やされているのに、どこかじっとりとした重さが残っている。わたしはソファに腰を下ろし、冷たいアイスコーヒーを一口飲んだ。コーヒーの名前は「ニルヴァーナブレンド」——近所のカフェが今夏だけ限定で出しているもので、深煎りなのに後味だけ妙にすっきりしている。そのカップを両手で包んでいたのは、エアコンで冷えた指先を温めたかったからだ。夏なのに、手だけが冬みたいだった。
そのとき、リビングの角から何かが飛び出してきた。
うちの猫、ムギだ。生後二年になる茶白のオスで、体格だけは立派なくせに、中身は完全に子猫のまま時間が止まっている。走り回る猫というのはどの家にもいるらしいが、ムギの場合は少し規模が違う。ソファの背もたれを踏み台にして壁に向かって突進し、着地に失敗してマットにずさっと滑り込む。それを三周繰り返す。
わたしはカップを持ったまま、ただ見ていた。
呆れる私、とはよく言ったもので、声も出なかった。ため息すら追いつかない。賑やかな猫というのはこういうことか、と改めて思い知る。静かな午後が欲しかっただけなのに、この部屋はいつの間にかムギの運動会場になっている。
子どものころ、実家にも猫がいた。「シロ」という、名前の通りの白猫で、縁側でいつも丸くなっていた。あの子は走らなかった。というより、わたしが見ていた限り、ほとんど動かなかった。ムギとシロは同じ「猫」というカテゴリに属しているはずなのに、まるで別の生き物のようだ。あの縁側の陽だまりと、今のこの部屋の喧騒が、同じ言葉で括られているのが不思議でならない。
ムギはようやく一瞬だけ止まった。
鼻をひくひくさせて、何かの匂いを嗅いでいる。床に落ちていたわたしのヘアゴムに気づいたらしく、前足でちょんと触れた。その仕草がひどく丁寧で、さっきまでの暴走との落差に思わず笑いそうになった。あんなに激しく走り回っておいて、ヘアゴムひとつにそんな慎重さを見せるのか——心の中でそっとツッコんだ。
部屋には、かすかにコーヒーの香りが漂っている。エアコンの風がカーテンの端を揺らすたびに、光が床の上で動く。その光の中に、ムギの影が重なって、伸びて、また縮んだ。
賑やかな猫と静かな午後は、共存しない。そう思っていた。でも今この瞬間、ムギがヘアゴムを前足で押さえながらぺたりと床に伏せているのを見ていると、なんだか部屋全体がひとつの呼吸をしているような気がしてくる。走り回る猫がいて、呆れる私がいて、コーヒーが冷めていって、蝉が鳴いている。それだけのことなのに、どこか満ちている。
呆然と猫を見つめる私は、カップをローテーブルに置いた。
ニルヴァーナブレンドは、もうすっかりぬるくなっていた。

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