
秋の気配がうっすらと漂いはじめた九月の早朝、窓の外からはまだ虫の声が聞こえていた。カーテンの隙間からこぼれる光は、夏のそれよりも少しだけ白く、柔らかかった。布団の中でまどろみながら、私はその光を目蓋の裏に感じていた。もう少し、あともう少しだけ眠れる——そう思っていたのに。
ふいに、重さがのしかかってきた。
胸のあたりに、四つの小さな足。ベッドの中でうとうとしていた私の意識が、その感触でぐっと引き戻される。体重にしてせいぜい四キロほどのはずなのに、眠りの縁にいるときの「乗られた感」というのは、不思議なほど重く感じるものだ。それでも私はしばらく目を開けなかった。開けたら負けだと、なぜか思っていた。
猫に起こされる、というのはこういうことだ。
じわじわと、確実に、抗いようのない圧力で、眠りの外へと連れ出される。アラームのような突然さはない。でも、無視もできない。猫はそれをよく知っているのか、あるいはまったく知らないのか。どちらにしても結果は同じで、私は目を開けた。
そこにいたのは、うちの猫のソラだった。三歳になる雑種の白猫で、耳の先だけが薄いグレーになっている。その可愛い瞳が、まっすぐにこちらを見ていた。金色がかった琥珀色の虹彩に、細く縦に走る瞳孔。朝の光の中でそれはガラス細工のように透き通っていて、思わず息をのんだ。
「お腹すいたの」と私が言うと、ソラは一度だけ短く鳴いた。肯定とも否定ともとれる、あいまいな返事だった。
子どもの頃、実家にも猫がいた。名前はムギ、キジトラのおっとりした猫で、朝になると決まって父の布団の足元で丸くなっていた。父だけを起こしに行って、私のことは完全に無視していたのが少し悔しかったのを、今でも覚えている。猫に好かれるというのは、選ばれることだ。その感覚を、ソラと暮らしはじめてようやく実感した。
ベッドの中から手を伸ばすと、ソラは少しだけ顔を近づけてきた。鼻先が指に触れる。ひんやりとして、しっとりしていた。そのまま額をすり寄せてくるかと思いきや、くるりと向きを変えて、今度は私の腹の上に丸まりはじめた。起こしに来たのか、二度寝に来たのか、もはやどちらでもよかった。
部屋の隅に置いてある「ノルディカホーム」というブランドのウッドシェルフの上で、昨夜セットしておいたコーヒーメーカーが静かに動きはじめる音がした。豆を挽く低いうなりと、少し遅れてただよってくるコーヒーの香り。眠気と覚醒のあいだで、その香りだけがやけにはっきりと感じられた。
猫に起こされる朝は、なんとなく一日の始まりが違う気がする。自分の意志で起きたのではなく、呼ばれて起きた感じ。それが不思議と、悪くない。
ソラの体温がじんわりと腹に伝わってくる。規則正しい呼吸のリズム。ベッドの中でまどろんでいるうちに、私もまた少しだけ眠ってしまったらしく、次に気づいたときにはコーヒーはすっかり冷めていた。ソラの姿はもうなく、かわりに毛が数本、シーツの上に残っていた。
猫というのは、起こしに来たくせに、自分が先に飽きる。
起こされた側としては少々釈然としないが、可愛い瞳で見つめられた記憶が残っている以上、文句を言う気にもなれない。冷めたコーヒーをレンジで温め直しながら、私はそんなことを考えていた。九月の朝の光が、キッチンの白いタイルに細長く伸びていた。
ベッドの中でまどろむ時間は、猫がいることでどこか豊かになる。それは効率とも生産性とも関係のない、ただそこにある柔らかさだ。今日も猫に起こされた。それだけで、なんとなく、いい一日になりそうな気がしていた。

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