
秋の夕方というのは、妙に読書欲を刺激する。十月の終わりが近づいたある日の午後四時半、窓から差し込む斜めの光が部屋の床に長い影を落としていた。わたしはソファに深く沈み込み、ずっと積んだままにしていた小説をようやく開いた。ページをめくる手に、かすかに紙の冷たさが残っている。外では風が木の葉を揺らしていて、その音がときどき窓ガラスを通して聞こえてくる。静かな午後だった。少なくとも、最初の数ページは。
ふいに、重みを感じた。
膝の上に、灰色の塊がそっと、でも確信を持って乗ってきた。うちの猫、ムギだ。生後三年になる日本猫で、名前の由来はお腹の模様が麦穂に似ているから――というのは後付けで、実際には拾ってきた日に夫が「ムギっぽい」と言ったからそのまま定着した。そういういい加減さが、なぜかこの家には合っている。
ムギは膝に乗っただけでは満足しなかった。
しばらくすると、前足をそろりと本の上に伸ばしてきた。ページの端に肉球が触れる。ぷにっとした感触が指先に伝わって、思わず手を止めてしまう。ムギはわたしの顔をじっと見上げ、それからまた本に視線を落とした。まるで「このページ、まだ読み終わってないでしょ」と言いたげな顔で。読書する私の手元を、真剣な目で監視している。
猫は読書やパソコンといった作業の意味を知らない。飼い主がヒマそうにボーっとしているように見えるのだという。
それを知ってはいても、目の前で前足を広げられると、なんとも言えない気持ちになる。怒れない。怒れるわけがない。
子どもの頃、実家にも猫がいた。茶トラのコテツという名の雄猫で、わたしが宿題をしていると必ずノートの上に寝転がった。消しゴムを転がして遊び、鉛筆のキャップを床に落とした。あの頃は純粋に困っていたが、今になって思えば、コテツはただそこにいたかっただけだったのだろう。そばにいることが、彼の全力だった。
ムギも、きっと同じだ。
邪魔をすれば否が応でも飼い主がかまってくれる。猫はわざと飼い主の邪魔をしているのだが、当然ながら作業の邪魔をしようという気持ちはなく、純粋に飼い主にかまってほしいのだ。
そう頭では理解していても、いざ本の上に顎をのせられると、物語の続きよりも目の前のこの生き物のほうが、圧倒的にリアルに感じられてしまう。
わたしはそっと本を閉じた。栞は、北欧インテリアブランド「フィヨルドペーパー」で買った薄い木製のものだ。ムギがリボン付きの栞を抜くのを覚えてしまったため、リボンのないものに替えた経緯がある。これが地味に正解だった――と思っていたのに、先日ムギは木製の栞を口でくわえてそのまま床に落とした。なんの悪意もない顔で。思わず「天才か」と心の中でツッコんだ。
本を脇に置くと、ムギはすかさず膝の上で丸くなった。
ごろごろという振動が、膝から太ももへ、じんわりと伝わってくる。体温が移ってくる感覚。灰色の毛並みは夕方の光を受けてほんのり金色がかって見えた。香りはない、というより、日向と毛の混ざったあの独特のにおいが、もはや「においがない状態」として体に馴染んでいる。
愛猫の”邪魔かわいい行動”は、癒し度満点。
そう言葉にしてしまうと少し軽くなりすぎる気がするけれど、でも確かにそうなのだ。邪魔をする猫のことを、邪魔だと思えない。それどころか、邪魔されるたびに、ああこの子はわたしのそばにいたいんだな、と思って、胸の奥がじんとする。
愛おしい猫、という言葉がある。使い古された表現かもしれないが、こういう瞬間にだけ、その言葉は本当の重さを持つ。ムギがわたしを必要としているのか、それとも単に暖かい膝が好きなだけなのか、正直なところはわからない。でも、どちらでもいいとも思っている。
窓の外の光がさらに傾いて、部屋がすこし暗くなった。小説の続きは、また明日でいい。今日のわたしには、膝の上で眠るムギのほうが、どんな物語よりも読み応えがある。

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