賑やかな猫に呆れる私。走り回る猫と、五月の午後の攻防記

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五月の連休初日、午後二時すぎのことだった。窓から差し込む光がフローリングに長い四角を描いていて、外では誰かが自転車を走らせる音がかすかに聞こえていた。私はソファに腰を下ろし、「ノルディカハウス」というインテリアブランドのカタログをめくりながら、ようやく手に入れた静かな時間を味わっていた。コーヒーの香りが部屋に漂っていて、薄く開けた窓から初夏の風が入ってくる。こんな穏やかな午後が、ずっと続けばいいと思っていた。

そのとき、廊下の奥からドタドタという音が聞こえた。

走り回る猫、ソラは生後一年半のキジトラで、体重は四キロ弱。それなのに、どうしてこんなに音が大きいのか。私は思わずカタログから目を上げた。次の瞬間、ソラはリビングに飛び込んできて、私の足元をすり抜け、ソファの背もたれを駆け上がり、そのまま本棚の上に着地した。本棚の上に置いてあった小さな観葉植物の鉢が、ぐらりと傾く。私は思わず立ち上がり、「こら」と声をかけたが、ソラはすでに次の標的を探すように耳をピンと立て、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

呆れる私をよそに、ソラの賑やかな猫らしさは止まらない。

子どもの頃、実家で飼っていた猫のことを思い出す。あの猫も同じだった。夜中に突然走り出して、台所の棚からものを落とし、朝になると何事もなかったようにこたつで丸くなっていた。猫というのは昔から変わらない。ただ、当時の私は子どもだったから一緒に追いかけっこをして笑っていたのに、今の私はため息をつきながら倒れかけた鉢を押さえている。これが大人になるということなのかもしれない、と少しだけ思う。

ソラはひとしきり走り回ったあと、ふいに私のそばに来て、ぺたりと床に寝転んだ。さっきまでの嵐が嘘のように、目を細めてゆっくりと瞬きをする。柔らかい腹毛に手を触れると、ほんのり温かくて、指先に細い毛の感触が広がった。窓から入る風が、ソラの毛をわずかに揺らす。

賑やかな猫というのは、こういう生き物だ。暴れるだけ暴れて、疲れたら一番近くにいる人間のそばで眠る。

ちなみにこの日、私はコーヒーをもう一杯淹れようと立ち上がった瞬間、うっかりカタログをソラの上に落としてしまった。ソラは驚いて跳び上がり、またリビング中を走り回ることになった。完全に自業自得だった。呆れる私、というより、呆れられていたのは私の方だったかもしれない。

走り回る猫の背中を目で追いながら、私はもう一度ソファに座り直した。コーヒーはまだ少し残っていた。外の光はさっきより少し傾いて、フローリングの四角が細長くなっていた。ソラはまたどこかへ消えていって、廊下の奥からカサカサという音だけが聞こえてくる。

何かをくわえているのだろう。何を、かは、見に行かない方がいい気がした。

賑やかな猫と暮らすということは、静かな午後を諦めることではなくて、静けさの形が少し変わるということなのだと、最近ようやくわかってきた。ドタバタした音も、倒れかけた鉢も、落とされたカタログも、全部ひっくるめてこの部屋の音になっている。呆れる私の横で、ソラはいつもどこか満足そうにしている。

五月の光の中で、私はまたカタログを開いた。今度こそ、最後まで読めるといい。

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