
六月の夕暮れ時、まだ空に橙色が残っているうちにシャワーをかけはじめる。窓の外から遠くの踏切の音がかすかに届いて、浴室のタイルはひんやりと白く光っていた。そんな夕方に、わが家では猫の入浴がはじまる。
うちには今、三匹の猫がいる。長毛のソラ、短毛でやや太めのムギ、そして今年の春に保護したばかりの子猫のコハク。三匹をきれいにしようと決めたのは、ある日の昼下がり、コハクの白い毛が妙にくすんで見えたことがきっかけだった。もともと猫の入浴はそんなに頻繁にやるものではないと思っていたし、猫は自分でグルーミングをするから大丈夫、とどこかで読んだ気もする。でも、あのくすんだ白毛を見たら、なんとなく放っておけなくなってしまった。
最初は一匹ずつ、おそるおそるだった。ソラは案の定、浴室のドアの前で四肢を突っ張らせて抵抗した。引っ張ってもびくともしない。猫の踏ん張りというのはどこにそんな力があるのかと毎回不思議になる。それでもなんとか抱き上げ、
35度くらいのぬるま湯に設定したシャワーヘッドを体にくっつけながら
、少しずつ濡らしていく。シャンプーの泡が立ちあがるたびに、ほんのり甘い草の香りが浴室に広がった。愛用しているのは「ネコノハ・ナチュラルフォーム」という架空のブランドのシャンプーで、無香料に近いのにどこか植物っぽい匂いがして、猫も人も落ち着く気がしている。
シャンプーは直接つけるのではなく、洗面器で泡立ててから使う
ようにしてから、ずいぶん洗いやすくなった。泡を手でやさしくなじませると、毛を引っ張らずに洗えるのだ。ソラの長い毛に泡をもみこむとき、指先に伝わるふわりとした感触はちょっと癖になる。洗い終わったあとのぺたんこになった姿は毎回笑えるほど別の生き物に見えるけれど、それはそれでかわいい。
問題はムギだ。ムギは水を嫌がるというよりも、浴室全体が嫌いらしく、シャワーの音が聞こえただけで廊下の奥に消える。子どものころ、近所に住んでいたおじさんの家の猫が風呂嫌いで、洗おうとするたびにカーテンの裏に隠れていたのを思い出す。あの猫とムギは似ていると思う。そういう猫は無理に引っ張らず、声をかけながらゆっくり連れてくるしかない。
猫がシャンプーを嫌がる理由は、濡れることのほかにお風呂場のにおいや音が関係している
こともあるので、最近はシャワーを流しっぱなしにせず、音を最小限にするよう気をつけている。
コハクはというと、意外にも水を怖がらなかった。洗面器に少しお湯を張ってそっと足を入れると、最初こそびくっとしたものの、すぐに落ち着いて、ぺたりと座ってしまった。まさかの洗われ待ち。思わず「え、好きなの?」と声に出してしまったくらいだ。
自らイスに座って洗われ待ちをする猫の動画がSNSで話題になっていたが
、コハクもそういう子だったのかもしれない。
三匹の猫の入浴を終えると、浴室はにぎやかな戦場の跡のようになっている。濡れたタオルが三枚、シャンプーのボトルが倒れたまま、床には白い毛が数本。それでも、ドライヤーをかけてふわふわに乾いた三匹が並んでいる光景は、なんとも言えない達成感がある。
ドライヤーをせず放置すると生乾きになりにおいの原因にもなる
ので、この仕上げだけは手を抜かないようにしている。
猫の入浴は、やってみると思っていたより静かな時間でもある。シャワーの音、泡の立つ音、ときどき発せられる低い唸り声、そして最後に浴室を出るときのぱたぱたという足音。その一連の音が、六月の夕暮れの浴室に重なって、どこか懐かしいような気持ちになる。きれいにしようと思って始めたことが、いつのまにか三匹との大切な時間になっていた。

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