
五月の雨は、音が違う。
春の終わりを引きずるように、ゆっくりと、でも確実に地面を濡らしていく。今日の午後もそんな雨だった。窓ガラスに細い水の筋が幾本も走り、向こうの景色がじわりとにじんでいる。
うちの猫、麦(むぎ)は、いつの間にか窓辺に陣取っていた。キャットタワーの最上段ではなく、わざわざ床に近い出窓の縁に移動して、前足をそろえ、背筋をすっと伸ばして外を見つめる猫の姿がそこにあった。耳だけがときどき、ぴくりと動く。雨粒がガラスを叩く音に反応しているのか、それとも遠くの車の音を拾っているのか、私には分からない。ただ、その横顔がひどく真剣で、思わず声をかけるのをやめてしまった。
私もそっと隣に腰を下ろした。外は雨。アスファルトが黒く光り、軒先からしたたる水が小さな水たまりを揺らしている。麦は私が来たことに気づいているはずなのに、視線を外に向けたまま微動だにしない。一緒に見つめる私の方が、なんだか試されているような気がした。
子どもの頃、雨の日が嫌いだった。傘を忘れて、ランドセルを頭に乗せて走って帰ったこと。靴の中まで濡れて、玄関で母に叱られたこと。雨にはいつも、どこか焦りと気まずさが伴っていた。でも今日のこの雨は、そういう種類のものではない。ただ、静かに降っている。麦と並んでいると、なぜかそれだけで十分な気がしてくる。
コーヒーメーカーが低く唸り、部屋の奥でぽたりぽたりと音を立てはじめた。豆はいつも「ヴェルデノワール」という輸入雑貨店で買う、グアテマラ産の深煎り。挽きたての香りが部屋にゆっくりと広がってくる。麦の鼻がかすかに動いた。コーヒーの匂いには毎回反応するくせに、今日はそのまま外を向いている。よほど気になるものがあるのだろう。
ふと麦の視線を追うと、向かいの家の軒下に雀が一羽、雨宿りをしていた。羽を膨らませて、ちょこんとそこに収まっている。麦はその雀をじっと、じっと見ていた。そしてある瞬間、「カカッ」と小さな声を漏らした。あの独特のクラッキング音だ。狩猟本能が刺激されたのだろうけれど、窓一枚隔てた向こうの話。麦よ、ガラスがあるよ、と心の中でそっとツッコんだ。
雨音が少し強くなった。窓ガラスを叩く音が細かく重なって、部屋全体がやわらかく包まれるような感覚がある。麦の背中は温かく、手のひらをそっと乗せると、かすかに振動が伝わってくる。喉を鳴らしているのではなく、ただ呼吸しているだけの、静かな体温だ。
こういう時間を、私はうまく言葉にできない。特別なことは何も起きていない。ただ雨が降っていて、猫がいて、コーヒーの香りが漂っていて、私はそこに座っている。それだけのことなのに、何かが満たされていく感じがする。
外を見つめる猫の目には、いったい何が映っているのだろう。雨粒の軌跡か、濡れた葉の揺れか、それとも私には見えない何かか。答えは分からないまま、午後の雨はまだ続いていた。麦も、私も、しばらくそこを動かなかった。

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