本を読む私に、猫はいつだって邪魔をする──それでも愛おしい猫との午後

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五月の午後三時ごろ、窓から差し込む光がフローリングの上に細長い四角を描いていた。その日、私は久しぶりに腰を落ち着けて読書する私になろうとしていた。お気に入りの北欧インテリアブランド「フィヨルドネスト」のリネンクッションを背中に当てて、ソファの端にちょうどよく体を預けた。手には先週から読みかけていた小説。ページをめくるたびに、かすかに古い紙とインクの香りが漂った。静かだった。本当に、静かだった。

それが続いたのは、せいぜい十分くらいのことだったと思う。

気配を感じたのは、視野の端にある動きだった。ソファの肘掛けのうえにするりとのぼってきた灰色の影。我が家の猫、むぎだ。生後三年、体重四キロ半、意志だけは人間の三倍はあるという確信がある。むぎはしばらく私の横顔をじっと見ていた。まるで品定めをするように。そして満を持して、私の開いた本の上に前足をどんと置いた。

邪魔をする猫、というのは世界中の猫飼いが知っている現象だけれど、実際に自分の本の上に肉球を乗せられると、なんとも言えない気持ちになる。怒れない。笑えない。ただ、「あ、そうですか」という気持ちだけがじわりと広がる。

子どもの頃、実家にも猫がいた。茶トラのくりという名前で、母がいつも「くりちゃん」と呼んでいた。あのころも私が絵本を広げるたびに、くりは必ずやってきてページの上に寝転がった。おかげで私は同じページを何度も読む羽目になり、結果的にその絵本の文章を全部暗記してしまったことがある。今思えばあれは、猫式の読書指導だったのかもしれない。

むぎは前足で本を押さえたまま、今度は私の手の甲に顎を乗せてきた。ほんのり温かくて、少し重い。ごろごろという低い振動が手首のあたりまで伝わってきた。窓の外では、どこかの家のウインドチャイムがかすかに鳴っていた。風が動いているのだ。

本は読めない。完全に読めない状態になった。

それでも私はしばらく、そのままでいた。むぎの重みを手の甲に感じながら、開いたままの本の文字を目で追うふりをしながら。愛おしい猫というのは、こういう生き物なのだと思う。不便で、わがままで、計画を全部くずしてくる。なのに、その重さが心地よい。

ちょうどそのとき、むぎがくしゃみをした。小さくて、少し間の抜けた音だった。びっくりして顔を上げたむぎと目が合った。なんとなく、お互いに一拍置いた。心の中で「今のはどうした」とつぶやいたのは、私だけの秘密にしておく。

日が少し傾いて、フローリングの四角い光がじわじわと形を変えていた。むぎはいつの間にか私の膝の上に移動して、丸くなっていた。読書する私は、もうとっくに読書していない。でも不思議と、後悔はなかった。

邪魔をする猫がいる暮らしというのは、予定通りにいかないことの連続だ。読みたいページは読めないし、集中しようとするたびに何かが乱される。それでも、その「乱れ」のなかにしか存在しない時間がある。むぎの体温が膝を温めて、外の光がゆっくり移ろって、古い本の香りが部屋に漂っている、この午後だけの感触。

愛おしい猫とはつまり、そういう存在なのかもしれない。邪魔をされるたびに、今ここにいることを思い出させてくれる。読書する私が本の世界へ逃げようとするたびに、むぎはこちら側へ引き戻す。それが迷惑なのか、やさしさなのか、今日もまだわからないまま、窓の光はゆっくりと薄くなっていった。

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