雨の外を、猫と一緒に見つめていた午後のこと

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窓の外は、雨だった。

五月の終わりにしては少し重たい雨で、アスファルトが黒く濡れて、向かいの家の紫陽花がぐったりと頭を垂れていた。そういう午後だった。特別なことは何もない、ただ雨が降っていて、私は何もしていなかった。

うちの猫——名前はムク、三歳になるキジトラの雄——は、そんな私をよそに、窓際にぴたりと張りついていた。外を見つめる猫の後ろ姿というのは、どうしてあんなに絵になるのだろう。背筋がすっと伸びて、耳だけが微妙に動いて、しっぽの先がゆっくりと左右に揺れている。私が声をかけても振り向かない。完全に外の世界に意識を持っていかれている。

私もなんとなく、ムクの隣に腰を下ろした。

雨音というのは不思議だ。ざあざあと降っているはずなのに、部屋の中から聞くと、どこかくぐもっていて、むしろ静かな気がする。子どもの頃、実家の縁側でよく雨を見ていた。母が台所で夕飯の支度をする音と、雨の音が混ざり合って、世界がひとつの気配になるような感覚。あの縁側はもうないけれど、あの感じは今もどこかに残っている。

ムクの横に並んで外を見ていると、雨粒がガラスを伝って流れていくのが見えた。一粒がゆっくり落ちて、途中で別の粒と合流して、少し速くなって消える。それをぼんやり追いかけているうちに、時間の感覚がゆるんでいった。

窓ガラスには、ムクの鼻の頭が微かに触れていた。ひんやりしているはずなのに、彼は気にしていない様子だった。私はそっと手を伸ばして、ムクの背中に触れた。温かかった。毛の奥に体温がある。外の冷たい雨と、この温もりが、指の先で同時に感じられるような気がした。

外は雨。それだけのことなのに、一緒に見つめる私は、なぜかその時間をとても大切なものとして受け取っていた。

ムクがふと振り向いた。目が合った。そして何事もなかったように、また外を向いた。——ありがとうの代わりにしては、ずいぶんあっさりしているな、と心の中で軽くツッコんだ。でもそれでいい。猫というのはそういう生き物だ。

雨の日の室内には、独特の香りがある。湿った空気が窓の隙間からわずかに入り込んで、木の床や布のソファに染み込んで、なんとも言えない落ち着いた匂いになる。私が好きなキャンドルブランド「ソワレヌ」のグレーアンバーという香りに少し似ている、と思った。あのキャンドルを買ったのは去年の冬で、もう残り少ないけれど、こういう日に灯したら似合うだろうな、とぼんやり考えた。

結局、キャンドルには火をつけなかった。

ただ、猫と並んで、雨の外を見ていた。それだけの午後だった。でも翌朝、なぜかその時間のことをまず思い出した。特別な何かがあったわけじゃない。ムクが外を見つめる猫であり続けて、私がその隣に座っていただけ。それなのに、あの窓際の静けさは、妙に鮮明に残っている。

猫は今日も窓の前にいる。

外は雨ではないけれど、曇っていて、光が柔らかい。ムクはやっぱり外を見つめている。私はまた、その隣に座ろうとしている。一緒に見つめる私がいて、外を見つめる猫がいて、それだけで、この部屋はどこか満ちているような気がする。

そういう時間が、好きだ。

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