
午後二時を少し過ぎた頃、窓から差し込む光が畳の上に細長い四角形を描いていた。その光の中に、一匹の猫がいた。いや、正確には「いた」というより「暴れていた」と言うべきかもしれない。
うちに来て三年になるキジトラの雄猫、名前はムギ。体重は五キロを少し超えていて、獣医さんには毎回「少し絞りましょうか」と言われている。そのムギが、今日に限って何かに取り憑かれたように部屋中を走り回っている。
最初は廊下からだった。ドタドタという足音が聞こえたと思ったら、勢いよくリビングに飛び込んできて、ソファの背もたれを駆け上がり、そのままカーテンに爪を立てて半分ほど登り、重力に負けてずるずると落ちてきた。その一連の動作を、私はマグカップを口に運びかけたまま、ただ呆然と見ていた。
コーヒーが冷めていくのにも気づかないくらい、しばらく動けなかった。
ムギはカーテンから落ちた後、何事もなかったかのように毛づくろいを始めた。あの落ち方をしておいて、である。こちらが心配して腰を浮かしかけたのに、当の本人はもう次のことを考えているらしく、ぺろぺろと前足を舐めながら、ちらりとこちらを見た。その目が「何か?」と言っているように見えて、思わず苦笑いした。
子どもの頃、実家でも猫を飼っていた。「ミル」という白猫で、ひどく穏やかな性格だった。縁側でうとうとしているか、ひなたぼっこをしているか、そのどちらかしかしていない猫だった。だから私は猫というのはそういうものだと思い込んでいた。静かで、優雅で、マイペースな生き物。ムギと暮らし始めるまでは。
ムギの賑やかさは、ときどき私の想像の範囲を軽々と超えてくる。
毛づくろいを終えたムギは、今度はローテーブルの下に潜り込み、そこから猛ダッシュで私の足元を通り抜けて、また廊下へ消えていった。足元をすり抜ける瞬間、柔らかい毛並みが足首をかすめた。その感触だけがやけにリアルで、あとはもう何がなんだかわからない。
部屋の中には、ムギが走り回るたびに舞い上がった細かな毛がふわりと漂っていた。窓から差し込む午後の光に照らされて、それが白く光って見えた。どこかのインテリアブランド「ノルテ・ハウス」の雑誌で見たような、整然とした北欧風の部屋を目指していたはずなのに、現実はこうだ。毛が舞い、カーテンは半分ずれ、ローテーブルの上のコースターはどこかへ飛んでいった。
呆れているのか、笑えているのか、自分でもよくわからない。
しばらくして、廊下の方が静かになった。そっと覗いてみると、ムギが玄関マットの上でぺたんと伸びていた。さっきまであれだけ走り回っていたのに、もう目が半分閉じかけている。猫の体内時計はどうなっているのだろうと、毎回思う。全力で暴れて、全力で眠る。そのサイクルが一時間以内に完結する。
私はそっとムギの隣に座って、背中に手を置いた。温かかった。走り回った後の熱がまだ残っているのか、いつもより少しだけ体温が高い気がした。ムギは目を細めて、小さくのどを鳴らした。
こういう瞬間がある。賑やかさの後にやってくる、静かで柔らかい時間。怒る気にもなれないし、呆れ続けることもできない。ただ、この温度と、低く響くごろごろという音と、午後の光の中にいる。
猫と暮らすというのは、こういうことの繰り返しなのかもしれない。予測できない動きに振り回されて、気づいたら隣で眠っている。それを見て、なんとなく許してしまう。
コーヒーはすっかり冷めていた。でも、まあいいかと思った。

コメント