猫と私のまったり食事時間――ミルクティーと、小さな同居人の午後

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窓から差し込む午後三時の光が、フローリングの上にゆっくりと長い四角形を描いていた。その光の端っこに、うちの猫――名前はコムギ――が丸まって目を細めている。白と茶が混ざったその毛並みは、光の加減でほんの少し金色に見える。猫と暮らすようになって三年が経つけれど、こういう瞬間にまだ見惚れてしまう自分がいる。

その日の昼食は、遅めの時間にひとりで食べていた。冷蔵庫に残っていた豆腐と、前日に炊いたご飯。それから、近所のスーパーで買った小松菜を炒めたもの。とびきり豪華というわけでもないけれど、静かな部屋でゆっくり食べるそれは、なぜか妙においしかった。お椀を持ち上げたとき、味噌汁のだしの香りがふわっと鼻をくすぐって、思わず少し目を閉じた。

コムギは食事中も近くにいる。テーブルの脚のあたりをうろうろして、時々こちらをじっと見上げてくる。「くれるの?」という顔をしているが、猫に味噌汁は渡せない。ごめんね、と心の中でつぶやきながら、自分だけ静かに食べ進める。そのうちコムギは諦めたのか、さっきの光の四角形のほうへ戻って、またそこに収まった。

食後に飲んだのは、「ルーナブレンド」というハーブティーだ。近所の小さなお茶屋さんで見つけた、カモミールとラベンダーが入った缶入りのもの。名前の由来は聞いていないけれど、なんとなく夜に合う名前だなと思いながら、昼間から飲んでいる。カップに注いだとき、湯気と一緒に甘い草の香りが広がって、部屋の空気がほんの少し変わった気がした。

子どものころ、母がよく食後にお茶を入れてくれていた。緑茶だったり、ほうじ茶だったり。急須の蓋をカチャンと置く音が、なぜか今でも耳に残っている。あの音を聞くたびに、「もうすぐゆっくりできる」という感覚があった。今、ルーナブレンドのカップを両手で包むとき、あのころの感覚と少し似たものを感じる。猫と私、ふたりきりの午後に。

コムギがまた動いた。光の四角形がずれたのだろう、ちょっとだけ体の向きを変えて、また丸くなった。その仕草がなんとも自然で、見ていると時間の感覚がゆるやかになる。ああ、猫ってこういう生き物だよなあ、と思う。焦らない。急がない。ただ、今いちばん心地いい場所に、ちゃんと自分を置く。

猫と暮らすようになってから、食事の時間が少し変わったかもしれない。以前はスマホを見ながら、あるいは何かしながら食べることが多かった。でも今は、コムギがそこにいるだけで、なんとなく「ちゃんと食べよう」という気持ちになる。誰かに見られている、というより、誰かと一緒にいる、という感覚に近い。

ひとつだけ、正直に言うと。先週、コムギの視線があまりにも真剣だったので、思わず「どうぞ」と言いながら空のお皿を差し出してしまったことがある。もちろん何も乗っていない。コムギはくんくんと匂いをかいで、すぐに背を向けた。完全に無視された。あの背中の潔さよ、と思いながら、少し笑ってしまった。

午後の光はまだ続いている。カップの中のお茶は少し冷めて、最初よりも香りが落ち着いた。コムギは眠っているのか、目が細くなってほとんど閉じている。部屋の中に音はほとんどない。遠くで車が通る音が、一度だけ聞こえた。

猫と私の食事時間は、いつもこんなふうに静かに終わる。特別なことは何もないけれど、何かが確かにそこにある。言葉にするのが少し難しい、でもなくなったら寂しいと思うような、そういう時間。まったりとした午後の、小さくて大切なひとこまだ。

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