
十月の朝は、まだ暗い。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の空気をうっすらと白く染め始める時間帯、わたしはまだベッドの中にいた。目覚まし時計は6時にセットしてあるのに、体は布団の重さにすっかり溶け込んでいて、意識だけがどこか遠い場所を漂っていた。秋の朝特有のあの感覚——冷たい空気と温かい布団の境界線に、自分がちょうど半分ずつ存在しているような、あのまどろみ。
そこへ、来た。
最初は布団の端が、かすかに沈んだ。次の瞬間、四本の肉球がゆっくりとわたしの脚の上を歩き始める。重さにして3キロ半ほどの、やわらかくて確かな重力。それがうちのシロ——正式名称はしろまる、でも呼ぶときはいつもシロ——だとわかるのに、1秒もかからなかった。
猫に朝起こされた経験のある飼い主は約9割にのぼるという調査結果がある
けれど、実際にその瞬間を体験するたび、統計の話なんてどこかへ消えていく。目の前にあるのは、ただこの小さな生き物の体温と、鼻先から漂う、かすかな獣の香りだけだ。
シロはわたしの胸のあたりまで歩いてくると、ふいに立ち止まった。そしてゆっくりと顔を近づけてくる。可愛い瞳が、薄暗い部屋の中でもはっきりと光を映していた。まるで宝石箱を覗き込んだときのような、透き通った琥珀色。その目でじっと見つめられると、こちらはもう観念するしかない。
「……わかった、起きる」
声に出してしまってから、少しおかしくなった。猫に向かって降参を宣言している自分。しかも相手は何も言っていない。ただ見ているだけなのに、こちらが折れている。
猫は「こうするといいことがある」と学習すると、その行動を繰り返すようになる
という。シロもきっとそれを知っている。ベッドの中のわたしを、あの可愛い瞳でじっと見つめれば、必ず起き上がってくれると。何百回と繰り返した朝の中で、学んでしまったのだ。
思えば子どもの頃、実家で飼っていた猫も同じだった。名前はムギ、麦色の縞模様をした雑種で、毎朝決まって5時半ごろ、わたしの枕元に座り、額をぺたりと押しつけてきた。あの感触は今でも覚えている。冷たくて、すべらかで、少しだけしっとりしていた。猫の鼻先というのは、どうしてあんなに朝に似合うのだろう。
シロがようやく胸の上に丸くなった。ゴロゴロという振動が、肋骨の内側まで伝わってくる。わたしはそのまましばらく動けなかった。起きなければならないとわかっていても、この重さと温度と音を、もう少しだけ手放したくなかった。
インテリアショップ「ノルテ・ブランシュ」で買った、くすんだオリーブ色のリネンの掛け布団。その上にシロが乗っているのを見ると、なぜかひどく絵になる。猫というのは、どこに置かれても絵になる生き物だとつくづく思う。
目を開けたら横にいて、「おはよう」と言うと待ってましたとばかりに胸の上に乗ってごろごろ
——そんな体験談を読んだことがあるけれど、うちのシロはもう少し強引だ。待たない。起きるまで来る。乗る。見る。それでも起きなければ、今度は鼻先でわたしの頬をつついてくる。
朝4時に起こされるのは大変だが、無防備な寝顔を見せられたら、つい全部許してしまいそう
、という言葉をどこかで読んだ。まったくその通りだと思う。猫に起こされる、ということは、怒りとかわいさが同時にやってくる体験なのだ。どちらかが勝つかは、その日の眠気次第だけれど、だいたいかわいさが勝つ。
ベッドの中で、シロの背中をそっと撫でた。指先に、細かい毛の感触。秋になってから少し毛量が増えた気がする。窓の外では、どこかの家の屋根を、朝の光が静かに照らし始めていた。遠くで鳥が一声鳴いた。
結局わたしは、アラームより20分早く起き上がった。シロはといえば、わたしが布団を出た途端、そのあたたかくなった場所にするりと移動して、丸くなってしまった。
猫に起こされる朝というのは、いつもこうだ。起こした本人が、一番気持ちよさそうに眠っている。

コメント