本を読む私の膝の上に、愛おしい猫がいる

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九月の夕暮れどき、窓から差し込む光がほんのりオレンジ色に染まっていた。その日わたしは、ずっと積んだままにしていた小説をようやく開いた。タイトルは『ヴェルダンの丘』――架空の街を舞台にした、少し哀愁漂う恋愛小説だ。ページをめくるたびに、かすかに古紙のにおいがした。子どもの頃、祖母の家の本棚から引っ張り出した文庫本のにおいによく似ていて、思わず鼻をそっと近づけてしまった。

読書する私の隣に、いつの間にかムギがいた。

ムギというのは、うちの三歳になる雑種のオス猫だ。グレーと白が混じった毛並みで、耳の先だけが少しだけ茶色い。普段は気まぐれで、呼んでも来ないくせに、こちらが本に集中しはじめると決まって現れる。

最初は足元にすり寄ってくるだけだった。やわらかい毛が足首をかすめ、ひんやりした鼻先がすねに触れる。それだけならまだよかった。しかし三分も経たないうちに、ムギはソファをよじ登り、わたしが開いている本の上にどすんと前足をのせてきた。

ページをめくろうとすると、パシッと手を止めてくる。
まるで「まだ読むな」と言っているようで、思わず笑ってしまう。

猫は飼い主が何かに集中してじっとしていると、飼い主が暇だと勘違いしてしまうらしい。
そう知ってはいても、いざ目の前でやられると、怒るよりも先に「なんなんだ、もう」という気持ちと「かわいいな」という気持ちが同時にやってくる。このふたつが混在する感覚は、猫を飼ったことのある人にしかわからないかもしれない。

ムギはそのまま本の上に顎をのせ、目を細めた。琥珀色の瞳がゆっくりと閉じていく。夕日の光が横から差して、毛の一本一本が金色に光って見えた。温かい重みが手の甲にかかる。やわらかくて、少しだけ湿っている。その感触は、どんな言葉よりも雄弁だった。

邪魔をする猫、というのは正確ではないのかもしれない。ムギにとっては邪魔をしているつもりなど、これっぽっちもないのだから。
猫は読書やパソコンといった作業の意味を知らない。飼い主がヒマそうにぼうっとしているように見えるだけなのだ。
それでもわたしは、この行動を「邪魔」と呼び続けるだろうと思う。そう呼ぶことで、ちょっとした被害者ポジションを確保しつつ、実は内心ほくほくしているという、この微妙な立場を守りたいのだ。

ちなみに先日、同じように読書の邪魔をされたとき、わたしはムギをどかそうとして誤って本を床に落とした。栞がすっ飛び、どこを読んでいたかわからなくなった。ムギはその音に一瞬だけびくっとして、それからまたけろりと膝に戻ってきた。完全に無関係の顔をしていた。

愛おしい猫というのは、こういう存在だ。

迷惑で、わがままで、こちらの都合などまるで考えていない。それなのに、なぜかそばにいてほしいと思ってしまう。膝の上の重みが消えた瞬間に、どこか寂しくなる。
猫が膝の上にのってくるとき、特に向かい合わせになる場合は、コミュニケーションを求めていることが多い
という話を読んだことがある。だとすれば、ムギはわたしに話しかけているのだ。言葉ではなく、体温で。

窓の外では、秋の虫がまだ鳴いていた。

結局その夜、わたしは『ヴェルダンの丘』を二十ページしか読み進められなかった。でも、ムギの寝息を聞きながらぼんやりと過ごした時間のことは、たぶん長いこと覚えているだろう。本の内容よりも鮮明に。読書する私にとって、邪魔をする猫との時間は、いつも物語よりも少しだけ深いところに残る。

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