雨の日、猫と一緒に外を見つめる静かな午後のこと

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雨が降りはじめたのは、昼をすこし過ぎたころだった。

最初は気づかなかった。台所でお湯を沸かしていると、ふと、ソファの上のムギが動いた気配がして振り返ると、彼女はいつのまにか窓のそばに移動していた。前脚をきちんと揃えて、背筋をすっと伸ばして、外を見つめる猫の横顔。その静けさが、雨を教えてくれた。

窓ガラスに細かい雫が伝いはじめていた。外は雨だった。

ムギはロシアンブルーで、うちに来て四年になる。ふだんはあまり窓に近づかないのに、雨の日だけはなぜかあの場所に座る。何かを待っているような、あるいは何かをあきらめているような、そのどちらとも取れる顔で、ただじっと灰色の景色を眺めている。
雨の日に窓辺で外を眺めるだけで外に出ようとしない猫の気持ち、というのは、本能がそうさせているらしい。
それを知ってからは、ムギの横顔を見るたびに少し切なくなる。

私はマグカップを持って、ムギの隣に腰を下ろした。アーバンリーフというブランドのリネンクッションが、ひんやりとして気持ちよかった。九月の雨は、まだ夏の湿気を含んでいる。窓を少し開けると、濡れたアスファルトと草の混ざったにおいが、ふわりと部屋に入ってきた。

ムギは動じない。

私が隣に座っても、マグカップがことりと音を立てても、彼女の視線はまっすぐ外に向いたままだった。雨粒が窓を叩く音が、一定のリズムで続いている。遠くで車が水をはねる音がして、それもすぐ消えた。静かだった。こんなに静かな午後が、まだあったのかと思うくらい。

一緒に見つめる私は、ただそこにいるだけでよかった。

子どものころ、実家の縁側で祖母と並んで雨を眺めたことがある。何も話さなくても、それがちゃんとした時間だった。あの感覚に似ていると思った。猫と人間では、見ているものがきっとまったく違う。ムギには雨の向こうに何か見えているのかもしれないし、私には見えないものが聞こえているのかもしれない。それでも、同じ窓の前に座って、同じ方向を向いている、というだけで、なんとなく十分な気がした。

ところで、一度だけムギの気を引こうとして、窓ガラスを指でとんとんと叩いたことがある。ムギはゆっくりこちらを振り向いて、一秒ほど私の顔を見て、それからまた外に視線を戻した。完全に無視、というわけでもないが、「用件はそれだけ?」という空気が漂っていた。猫に格の違いを見せつけられた瞬間である。

雨の日は猫が「狩り」をすることができないから眠るのだ、という話を読んだことがある。太陽が出ない日は体が活動モードに切り替わらず、休養日として体を休めるように進化したのだという。
でも、ムギは眠らなかった。ただ、見ていた。外を見つめる猫の目は、どこか遠くにあるものを追いかけているようで、それがなんなのかは、私にはわからない。

雨はやむ気配がなかった。

お湯が沸いていたことを思い出して、台所に戻る。ほうじ茶を淹れて、また戻ってくると、ムギはすこしだけ場所をずらしていた。さっきより窓に近い。鼻先がガラスにつきそうなくらい。白い息が一瞬だけ曇って、消えた。

外は雨。部屋は静か。ほうじ茶の湯気が、ゆっくりと立ち上る。

こういう午後のことを、たぶんずっと覚えていると思う。何か特別なことがあったわけじゃない。ただ、猫と一緒に雨を見ていた。それだけのことなのに、なぜかちゃんとした記憶になりそうな気がして、私はもう少しだけ、ムギの隣に座っていた。

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