
春の終わりかけ、4月の午後3時ごろ、窓から差し込む光がフローリングの上でゆっくりと伸びていた。東向きの部屋だから、この時間になると光が斜めに傾いて、埃がきらきらと舞うのが見える。あの光の中に、うちの猫——麦茶色のキジトラ、名前はコムギ——が丸くなって寝ていた。
猫と暮らすようになって、もうすぐ3年になる。
最初は「一人暮らしに猫はちょっと大変かな」と思っていた。子どもの頃、実家で飼っていた猫が脱走して三日間帰ってこなかったことがあって、その記憶がどこかにこびりついていたのかもしれない。あのとき私は小学2年生で、玄関の前に毎晩おやつを置いて待っていた。結局、猫は自分で帰ってきたのだけれど。
コムギを迎えた日のことは、今でもよく覚えている。保護猫の譲渡会で会ったその子は、ケージの隅っこで背中を丸めていた。近づいたら、ちらっとこちらを見て、また目を閉じた。その「あなたのことはわかっているよ」みたいな無関心さに、なぜかやられてしまった。
猫と私の暮らしは、静かで、少しぐらいで、それがちょうどいい。
今日の午後も、コムギはひなたの中で眠っている。私はキッチンで食事の準備をしていた。冷蔵庫を開けるたびに、コムギが片目だけ開けてこちらを確認する。何かもらえるかもしれないという、あの目だ。残念ながら今日の食事は人間用のパスタで、猫には関係ない。でも、にんにくを炒めた香りが部屋に広がると、コムギはのそのそと起き上がり、キッチンの入口まで歩いてきた。そこで立ち止まって、また座る。匂いだけ確認して、関係ないとわかったら戻っていく。その一連の動作が、なんとも言えずかわいい。
猫と暮らすとは、こういうことの積み重ねだと思う。
食事が終わって、コーヒーを淹れた。「ノルドフォグ」というデンマークのブランドの豆で、少し深煎りのやつ。マグカップを両手で包むと、じんわりと温かさが伝わってくる。コムギはいつの間にかソファの背もたれに移動していて、私が座ると肩口にあごをのせてきた。重い。でも、どかせない。
毛並みに鼻を近づけると、日向の匂いがした。光を吸い込んだような、乾いた温かい匂い。猫の体温は人間より少し高くて、その熱がじわじわと肩に伝わってくる。外では風が吹いていて、窓ガラスがかすかに鳴っていた。
ふと、昔のことを思い出した。実家の猫が帰ってきた朝、玄関を開けたら普通に座っていて、三日間の不在をまるで気にしていない顔をしていた。母が「ただいまも言えないの」と笑っていた。猫はそういう生き物だ。時間の感覚が違うのか、それとも謝るという概念がないのか。どちらにしても、怒れなかった。
コムギが、ふいにあくびをした。口の中がピンク色で、小さな歯が見えた。それからまた目を閉じて、私の肩の上でうとうとしはじめた。
猫と私の時間は、いつもこんなふうに流れていく。特別なことは何もない。ただ、光があって、温度があって、小さな呼吸音がある。それだけで、なぜかこの部屋が完全な場所になる。
猫と暮らすことを選んでよかったと、コーヒーを一口飲むたびに思う。言葉にするとどこか照れくさいけれど、この静けさは、私にとってかなり大切なものになっていた。
窓の外で、桜がもう散りかけている。4月の午後は、こんなにも早く終わっていく。コムギはまだ眠っている。私も、もう少しだけここにいることにした。

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