
秋が深まるにつれて、朝の空気がすこしずつ冷えてきた。カーテンの隙間から差し込む光は、まだ青みがかっていて、時計の針は午前五時をわずかに過ぎたところを指していた。そんな時間に、わたしはいつもベッドの中で微妙な戦いを繰り広げている。
相手は、三キロにも満たない小さな生き物だ。
うちのキジトラ、ムギ。生後四年目を迎えた彼女は、毎朝ほぼ同じ時刻に起動する。まるで体内に精密なタイマーが仕込まれているかのように、ゆらりとベッドへ飛び乗り、わたしの胸元あたりにそっと前脚をつく。最初はやわらかい。ちょんちょん、と肉球で胸を押す感触は、むしろ心地よいくらいで、夢の続きに引き戻されそうになる。
だが、ムギはそれを知っている。
あの手この手を使って起こしにくる
のが猫というものだ。やさしい肉球攻撃が効かないと判断すると、次は顔の横で小さく鳴き、それでも反応がなければ、布団から出たわたしの髪の毛をくちゃくちゃと噛みはじめる。これが地味に痛い。そして地味に、目が覚める。
わたしはゆっくりと瞼を開けた。
視界に飛び込んできたのは、ムギの顔だった。正確には、その可愛い瞳だ。金色と緑が混ざり合ったような虹彩が、薄明かりの中でじっとわたしを見つめている。瞳孔はまだ大きく開いていて、まるで夜の名残りを宿しているようだった。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ静かに、「起きなさい」と告げている。その目に見つめられると、なぜか言い訳が思い浮かばなくなる。
飼い主さんの約9割が愛猫に朝起こされた経験があるというアンケート結果がある
というのを、以前どこかで読んだことがある。読んだとき、「そうだろうな」と思った。あの可愛い瞳に見つめられて、二度寝を貫ける人間がどれだけいるというのか。
猫と一緒に寝ると、布団に入ってきた瞬間からぽかぽかで、まさに天然湯たんぽのような温もりがある
。ムギが胸の上に乗ってくる重さと温度は、十月の朝にはとりわけ贅沢なものに感じられた。布団の中に閉じ込めた熱と、ムギの体温が混ざり合って、ベッドの中は小さな惑星みたいに完結した世界になっていた。
子どもの頃、実家で飼っていたサバ白の猫を思い出す。あの子も朝が早かった。台所で缶詰を開ける音を聞きつけて廊下を走ってくる足音が、毎朝の目覚ましがわりだった。あの頃はそれが少し煩わしかった。今になって思えば、なんて贅沢な朝だったのだろう。
ムギはといえば、そのうち満足したのか、わたしの脇腹のあたりにすとんと丸まった。ゴロゴロという振動が、布団越しに伝わってくる。低く、規則的で、どこか催眠的なその音は、こちらの眠気を引き戻すのに十分すぎるほどだった。
そこでわたしは、やってしまった。
スマートフォンを手に取り、時間を確認しようとしたら、うっかりSNSを開いてしまったのだ。画面の光がぱっと顔に当たり、ムギがびくりと顔を上げた。その表情が、どことなく「なにしてんの」という顔に見えた。ごめんよ、と心の中でつぶやいた。
部屋に置いてある「ルミナスネスト」というブランドのラタンシェルフの上で、昨夜飲みかけたカモミールティーのカップがまだそのままになっていた。すっかり冷めているはずなのに、その存在が妙に愛おしく見えた。こういう、まとまりきらない朝の断片が、猫のいる生活には似合う気がする。
猫と暮らすと大変なこともありつつ、それ以上に癒してくれる存在であること
を、こんな朝に改めて実感する。猫に起こされる、というのは、ある意味で選ばれることだとも思う。ムギはわたしを必要としていて、だからわたしのそばへ来る。その単純な事実が、眠い目をこすりながらも、どこか温かく胸に落ちてくる。
五時半を過ぎたころ、窓の外の光がすこし白みはじめた。ムギはまた目を閉じ、小さく息をしている。
今日も、猫に起こされた。そしてまた、猫に許してしまった。ベッドの中で丸くなるその背中を眺めながら、わたしはそっと布団を引き寄せる。あと五分だけ、この惑星に留まっていよう。

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