
十月の午後というのは、どうしてこんなに光が斜めなのだろう。窓から差し込む西日が、フローリングの上にうっすらと長い影を引いていた。私はソファに腰を下ろし、ぬるくなったハーブティー——「ルナフォレスト」というブランドの、カモミールとレモングラスのブレンド——を両手で包んでいた。今日こそゆっくりしよう、と決めていた日だった。
そのつもりだった。
けれど、リビングの奥から、ドドドドドという地響きに似た音が聞こえてきた瞬間、その計画は静かに、しかし確実に崩れ始めた。うちの猫、ムギが走ってくる。正確には、走り回る猫が、私のいる方向へ向かってくる。四歳のキジトラで、体重は四・二キロ。決して小さくない。
ムギはソファの背を飛び越え、クッションを踏み台にして床に着地し、そのまま廊下の方へ消えた。五秒後、また戻ってくる。この賑やかな猫は、何かに取り憑かれたように部屋中を駆け抜け、カーテンの裾に体当たりし、本棚の前でぴたりと止まって、何もなかったかのように毛づくろいを始めた。
呆れる私、というのはこういう状態のことを言うのだと思う。ため息とも笑いともつかない息が、自然に漏れた。
子どものころ、実家にも猫がいた。「チャコ」という名の茶トラで、縁側でひなたぼっこをしてばかりの、おとなしい猫だった。ムギとは正反対だ。あの頃は猫というのはそういうものだと思っていたから、ムギと暮らし始めたとき、最初の一週間は本気で心配した。どこか具合が悪いのかと。
獣医師に相談したら、「元気な証拠ですよ」と笑われた。
ムギがまたリビングに戻ってくる。今度は私の膝の上に、どすん、と乗ってきた。さっきまであれほど賑やかだったのに、今は目を細めて喉をごろごろと鳴らしている。その体温が膝を通じて伝わってくる。温かい、というより、少し熱いくらいだ。走り回った後だから当然かもしれない。毛の感触はやわらかく、指を差し込むと奥の方は少し湿っている。
窓の外では、金木犀の香りがかすかに漂っていた。この時期だけの匂いだ。毎年、この香りを嗅ぐたびに、何か大事なことを思い出しそうになって、でも思い出せないまま秋が終わる。今年もきっとそうだろう。
ムギは私の膝の上で丸まり、うとうとし始めた。さっきまで走り回る猫だったとは思えない静けさで、規則正しく呼吸している。私はハーブティーに手を伸ばした。すっかり冷めていた。
呆れる私は、それでもムギの背中に手を置いたまま、立ち上がれなかった。温め直すのが面倒というより、この重みを手放したくなかったのだと思う。
賑やかな猫と暮らすということは、静けさの価値を知ることでもある、とどこかで読んだ気がする。当時は綺麗ごとだと思ったけれど、今なら少しわかる。騒がしさがあるから、こうして膝の上で眠る時間が、際立って見える。
西日がフローリングをオレンジに染めていた。ムギの毛並みが、その光の中でほんのりと金色に輝いていた。走り回る猫が、今は世界で一番おとなしい生き物みたいに見えた。
私はそっと目を閉じた。ハーブティーは冷たいままで、金木犀の香りだけが、窓の隙間からゆっくりと流れ込んでいた。


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