
九月の初め、まだ夏の名残が窓の縁にへばりついているような、あの中途半端に蒸し暑い午後のことだ。エアコンの設定温度を26度にしているのに、なぜか部屋の空気はぬるく、ひとりでソファに沈んでいた私の膝の上に、突然ずっしりとした重さが降ってきた。
うちの猫、ムギ——正式な名前は「麦穂(むぎほ)」だが、そんな上品な名前が似合う瞬間はほとんどない——が、どこからか全速力で飛び込んできたのだ。着地と同時に爪を立てられ、思わず声が出た。本人はまったく意に介さない。ひげをぴくぴくさせながら、何事もなかったかのように私の腹の上で丸くなろうとしている。
それから数秒後、また走り出した。
賑やかな猫、とはまさにこのことだと思う。静かな時間など存在しない。廊下を駆け、キッチンのタイルを滑り、棚の角で急停止してはまた方向転換する。その足音は思いのほか大きく、古い木造のこのアパートではドスドスと響いた。子どもの頃、実家で飼っていた猫は「しとやか」という言葉が似合う生き物だった。縁側で日向ぼっこをして、呼べばゆっくり振り返る、あの静かな猫。ムギはまるで別の生き物だ。
走り回る猫の軌跡を目で追いながら、私はただ呆然としていた。追いかける気力もない。止める言葉も思いつかない。コーヒーカップを持ち上げようとしたら、ちょうどムギが私の腕をかすめて通り過ぎ、カップが傾いた。中身は半分残っていたが、なんとか膝にこぼさずに済んだ——これは奇跡に近い。
呆れる私を尻目に、ムギはリビングの端でぴたりと止まり、何もない壁をじっと見つめ始めた。何が見えているのか、何を感じているのか、まったく分からない。猫というのはいつだって、こちらの理解を軽々と超えていく。
インテリアブランド「ノルテフォルム」のラグの上に、ムギの白い毛が散らかっている。購入してまだ三ヶ月も経っていないのに、すでに猫の毛と爪の痕が刻まれている。正直、少しだけ悲しい。でも不思議と腹は立たない。
夕方になると、光の角度が変わった。西向きの窓から差し込む橙色の光が、フローリングに細長い帯を作り、その中にムギが寝転んでいた。さっきまであれほど走り回っていた生き物とは思えない、穏やかな丸い背中。毛並みが光を受けて、うっすら金色に見える。温かそうで、柔らかそうで、触れると確かにそのとおりだった。
手を伸ばすと、ムギは薄く目を開けた。閉じた。また開けた。それだけだ。鳴きもしない。ただ、しっぽの先だけがゆっくりと揺れていた。
賑やかな猫と暮らすということは、こういうことだ。嵐のような時間と、信じられないくらい静かな時間が、交互にやってくる。どちらが本当のムギなのかは、今もよく分からない。走り回る猫が本体なのか、光の中で眠る猫が本体なのか。
呆れる私は、それでも毎日この部屋に帰ってくる。
ムギがいるから、というよりも、ムギがいる部屋の空気が好きなのかもしれない。爪の痕のついたラグも、散らかった毛も、コーヒーを危うくこぼしかけたあの瞬間も、全部ひっくるめて、なんとなく手放せない日常になっている。
呆然と猫を見つめる私。それが最近の、夕方の定位置だ。

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