猫に起こされる朝、ベッドの中のまどろみが教えてくれたこと

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夏の終わりの朝は、不思議なほど静かだ。カーテンの隙間からこぼれる光がまだ白く、空気の温度がかろうじて夜の名残を帯びている。そういう時間帯に、わたしはいつもベッドの中でまどろんでいる。意識があるのかないのか、自分でもよくわからない、あの曖昧な時間。夢の続きを手繰り寄せようとしているとき、それは始まった。

小さくて、確かな重さ。

足元のあたりに、何かがそっと乗ってきた。ふわりとした感触が布団の上を伝って、少しずつ、少しずつ近づいてくる。猫だ。うちのサバトラ、ムギが、起こしにきたのだとわかった瞬間、眠気と愛しさが同時に押し寄せてくる。

ムギは慎重な性格で、いつも一歩一歩確かめるように歩く。胸のあたりまで来ると、一度止まって、わたしの顔をじっと見る。その可愛い瞳が、暗がりの中でもはっきりと光を帯びていて、こちらを真剣に観察していた。起きているか、まだ寝ているか、試されているような気がして、思わず息をひそめてしまった。

猫が薄暗い明け方に活発になるのは「薄明薄暮性」と呼ばれる習性で、野生時代から受け継がれた行動パターンなのだという。
そう知ってはいても、朝の五時半に鼻先をツンと押されると、理屈より先に感情が動く。

ムギはしばらくわたしの顔の横で丸くなり、ゴロゴロという低い振動を喉から出し始めた。その音が、骨に直接響くみたいに伝わってくる。子どもの頃、祖母の家にも猫がいた。縁側で日向ぼっこをしながら、同じような音を立てていたあの猫のことを、ふと思い出した。名前はトラといって、どこにでもいそうな名前なのに、なぜか忘れられない。あの頃のわたしは、猫のゴロゴロ音を聞きながら昼寝をするのが好きだった。三十年近く経った今も、その感覚だけはちゃんと体が覚えている。

ベッドの中で猫に起こされる、というのは、困ることのはずなのに。

目を閉じたまま、ムギの毛並みに指を差し入れると、驚くほど柔らかかった。夏の終わりの朝の空気が少しだけ動いて、窓の外でどこかの鳥が鳴いた。ひとつ、またひとつ。枕元に置いていたアロマディフューザーから、ラベンダーとヒノキを混ぜたような香りがまだかすかに漂っていた。「ルミノワ」というブランドのもので、眠りを深くするというふれこみで買ったのだが、その効果をムギが台無しにしている。とはいえ、怒る気にはまったくなれない。

猫が額をペチペチたたいて飼い主を起こし、ちょうどその時間が起きる時間だったという話もある。
ムギの場合は、鼻でツンとやってくるのが流儀らしい。今朝も、わたしがうとうとしていると、もう一度、静かに、でも確実に鼻先を押してきた。

しぶしぶ目を開けると、可愛い瞳がすぐそこにあった。金色と緑が混ざったような、不思議な色の目。その目に見つめられると、なぜかこちらが申し訳ない気持ちになる。猫というのは、起こしているのに起こされた顔をしない。堂々としている。むしろ「やっと起きたか」という顔をしている。

ベッドの中のまどろみは終わった。でも、不思議と惜しくはなかった。

猫を飼っていると、朝ご飯のおねだりやかまってアピールで睡眠時間が削られがちだが、見方を変えれば、規則正しい早起きが実現しやすくなるともいえる。
そういう前向きな解釈を、ムギはきっと知らない。ただ、お腹が空いたか、あるいは単純にそこにいたかったか、それだけの話なのだろう。でも、それで十分だと思う。

八月の終わりの朝、猫に起こされながら、わたしは今日も一日を始める。

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