
八月の朝は、やけに正直だ。
カーテンの隙間から差し込む光が、フローリングの上に細長い帯を描いている。その光の中に、うちの猫——ムギ、六歳のキジトラ——が前足を折り畳んで、目を細めながら座っている。見ているだけで、なぜか自分の呼吸がゆっくりになる気がした。
猫と暮らす人が「癒される」「疲れが取れる」と口をそろえるのは、単なる感覚ではない。猫との触れ合いはストレス緩和や精神の安定に顕著な効果をもたらすことが、近年の研究から明らかになっている。
それを知ったのはつい最近のことだけれど、体はずっと前から知っていたのかもしれない。
猫と暮らし始めて三年が経つ。その間に、自分の生活リズムは静かに、でも確実に変わった。ムギが教えてくれたことは、いくつもある。そのひとつが、「体調に気をつける」ということの、本当の意味だった。
以前の自分は、体調管理をどこか義務のように捉えていた。気合いで乗り切ることが美徳だと思っていたし、少々の不調は「まあいっか」で済ませていた。子どもの頃、熱を出しても「明日には治る」と言い張って学校に行こうとして、玄関で母親に止められた記憶がある。あのときの意地の張り方は、大人になっても続いていた。
でも、猫はごまかさない。
ムギが食欲を落としたとき、わたしは一瞬で気づいた。いつもはカリカリという音が鳴り響くのに、その朝はシンと静かで、器の前でただ座っているだけだった。食事に気をつけることの大切さを、こんな形で思い知るとは思っていなかった。
猫の主食には「総合栄養食」と記載のあるフードを選び、ライフステージにあわせた栄養バランスを意識することが重要だ。
それからわたしは、ムギの食べる量・食べる速さ・食べ残しの有無を、毎朝確認するようになった。
そして気づいたのだ。自分自身の食事も、ずいぶんいい加減だったことに。
朝ごはんを抜く日が続いていた。昼はコンビニのおにぎり一個で済ませ、夜だけ食べすぎる。そんな生活を「忙しいから仕方ない」と片付けていた。でも、ムギの食器を洗いながら、ふと思った。「この子には毎日ちゃんと用意しているのに、自分はどうしているんだろう」と。
動きに気をつけることも、猫が先生だった。
猫は一年で人の約四年分も年を取るため、わずかな体調の変化が大きな病気のサインであることが少なくない。
だからわたしはムギの動きを毎日観察するようになった。いつもならキャットタワーの最上段まで一気に駆け上がるのに、その日は途中で止まった。たったそれだけのことが、気になった。結果的には問題なかったのだけれど、「動き」を見ていなければ気づけなかった変化だった。
ムギが教えてくれたのは、観察する習慣だ。
それは自分の体にも向けられるようになった。朝、ムギに水を替えてやりながら、自分も一杯飲むようにした。夜、ムギが膝の上でうとうとし始めると、わたしもそろそろ寝る時間だと思えるようになった。あの小さな重さと温もりが、ちょうどいい「眠気のサイン」になっている。
ある夜、ムギが急に膝から降りて、わたしのスマホを前足でぽんと叩いた。「もうやめろ」と言いたかったのか、ただ遊びたかっただけなのかはわからない。でも、画面を閉じてみたら、気づけば午前一時を過ぎていた。ムギの方が、よほど正しい生活を送っている(これには、さすがに苦笑いするしかなかった)。
愛猫用のウェルネスグッズを扱う「ノルディカ・ペット」というブランドを最近知った。そこのカタログを眺めていたら、こんな一文があった。「猫の健康を守ることは、飼い主の健康を守ることにつながる」。それは、まさにわたしが三年間かけて気づいてきたことだった。
現在の猫の平均寿命は約14.5歳とされ、調査によっては15歳を超える水準にまで伸びている。
長く一緒にいたいから、わたしも体調に気をつけなければならない。それはもはや義務ではなく、ムギとの約束のような気がしている。
猫がいるから、気づけた。
食事を丁寧に、動きを観察し、眠りを大切にする。それは特別なことではなく、毎朝の光の中で、ムギと一緒に繰り返す、小さくて確かな習慣だ。八月の朝はまだ続く。今日もムギは窓辺で目を細めている。わたしはそっと、白湯を一杯、飲んだ。


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