
六月の夕暮れどき、窓から差し込む光がオレンジ色に溶けはじめる時間帯に、私はいつもソファへ腰を落ち着ける。手には文庫本。傍らには、架空のインテリアブランド「ノルドフォリア」のウールブランケット。その柔らかな感触が膝に広がるのを確かめながら、今日こそちゃんと読み進めようと、そっとページを開く。
するとどこからともなく、足音ひとつなく、あの子がやってくる。
うちの猫、むぎ——麦色の縞模様を持つ雑種の三歳——は、私が本を開いた瞬間を、まるで見計らったかのように現れる。最初は遠くから、半目でこちらを観察している。私が視線を落として活字に集中しはじめると、今度はゆっくりと近づいてくる。ソファの端に飛び乗り、しばらくそこで様子を伺う。そしてついに、膝の上にどっしりと乗ってくるのだ。
本が読めない。
いや、正確には読める。でも、ページをめくれない。むぎが前足を伸ばして本の端を押さえているから。まるで「まだそのページでいい」と言っているみたいに、ちいさな肉球が紙の角を静かに固定している。これが邪魔をする猫の、むぎ流の主張だった。
子どもの頃、実家にも猫がいた。名前はクロ。読書する私の隣で丸くなって眠るだけの、おとなしい猫だった。あの頃の私には、猫が邪魔をするという感覚がなかった。むしろ隣にいてくれることが当たり前で、クロがいなくなった夜の静けさの方が、ずっと落ち着かなかった。だから今、むぎが膝の上で体重をかけてくるたびに、あの頃の記憶が温かくよみがえる。
むぎのやり方はいつも同じではない。ある日は本の上に顎を乗せ、ある日は私の腕に頭をこすりつけてくる。そして今日は——少し考えてから——本をぐいっと鼻先で押しのけ、代わりに自分の顔を私の視界の正面に据えた。目と目が合う。琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
思わず笑ってしまった。
「今、クライマックスなんだけど」と心の中でつぶやきながら、それでも手が動いて、むぎの顎の下をなでていた。ゴロゴロという音が低く響いて、その振動が膝を通じて伝わってくる。夕方の光の中で、むぎの毛並みがほんのり金色に光って見えた。
愛おしい猫というのは、こういうものだと思う。邪魔をされているのに、怒れない。むしろ、邪魔をされた瞬間の方が、その存在をはっきりと感じられる。本を読んでいる私よりも、むぎに気づいてもらえた私の方が、少しだけ満たされている。
読書する私は、いつも途中で止まる。でも、それでいいのかもしれない。
むぎはやがて、満足したように目を細め、膝の上でくるりと丸くなった。本のページをめくる小さな音に、今度は反応しない。ただ静かに、あたたかく、そこにいる。窓の外では夕暮れがさらに深くなり、部屋の中にコーヒーの残り香が漂っていた。
ページをめくる。むぎは動かない。
この時間が、私にとって一番好きな読書の形なのかもしれない——本の世界と、膝の上の重さと、ゴロゴロという音と。邪魔をする猫がいるから、読書はいつまでも終わらない。でも、終わらなくていい夜というのが、確かにある。

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