
梅雨入り直前の、蒸し暑い午後のことだった。窓の外では雨がまだ降っていなくて、空気だけが妙に重く、室内には猫の毛の匂いと、換気扇を回し忘れたときのような生ぬるさが漂っていた。そんな日に限って、うちの猫——名前はムギ、スコティッシュフォールドの三歳——が何かに突っ込んだらしく、背中にうっすら茶色いものをつけて戻ってきた。
「今日だな」と思った。猫の入浴、決行の日だ。
ムギとのお風呂は、毎回それなりの覚悟がいる。猫を洗うという行為は、飼い主にとってある種の「儀式」に近い。準備を整え、心を落ち着かせ、相手の反応を読みながら、慎重に、でも素早く進めなければならない。猫専用のシャンプー「ネコノハ ボタニカルウォッシュ」(架空のブランドだが、もし実在したら絶対買う)をあらかじめ洗面台の端に並べ、タオルを三枚重ねて用意した。三枚というのは経験則だ。一枚では絶対に足りない。
バスルームに連れ込む瞬間が、最大の山場である。ムギはドアの前で一度立ち止まり、鼻をひくひくさせた。湿った空気の匂いを嗅いでいるのか、あるいはこれから起きることを察知しているのか。猫の直感というのは侮れない。そっと抱き上げて浴槽の縁に乗せた瞬間、ムギが発したのは「ふにゃ」という、抗議とも諦めともとれる短い声だった。
ぬるめのシャワーを背中からゆっくりかける。38度くらいの湯温が、指先を通して伝わってくる。最初は全身を固めていたムギが、少しずつ力を抜いていくのがわかった。毛が濡れるにつれて、いつもふわふわしている体が細くなっていく。その変貌ぶりには何度見ても笑ってしまう——あんなに堂々としていた猫が、濡れると急に「ただの小動物」になるのだから。
シャンプーをなじませながら、子どもの頃のことをふと思い出した。実家で飼っていた猫も、お風呂のたびに全力で抵抗していた。母が「きれいにしようね」と声をかけながら洗うのを、私は脱衣所のドア越しにこっそり見ていた。猫の鳴き声と母の宥める声が混ざり合って、あの頃のバスルームはいつもにぎやかだった。
ムギの場合、暴れるというより「静かに耐える」タイプだ。じっと遠くを見つめ、たまに小さく震える。その横顔がなんとも言えず哀愁を帯びていて、少し申し訳なくなる。――ただ一度だけ、シャワーの向きを間違えて顔に水がかかったとき、ムギが「ぷはっ」という顔をしたのには思わず吹き出してしまった。怒るでも逃げるでもなく、ただ目を細めて「……それは想定外だった」という表情をしていたのだ。
すすぎが終わったら、すぐにタオルで包む。これが猫の入浴でいちばん大事な工程かもしれない。濡れたまま放置すると体温が下がるし、何より猫が不満を溜め込む。タオルにくるまれたムギは、最初だけ抵抗するが、温かさに気づくとすぐに大人しくなる。その小さな降伏が、毎回なんだかかわいくて仕方ない。
ドライヤーをかけながら、ブラシで毛並みを整えていく。風の音に慣れているムギは、低い音量なら嫌がらない。少しずつ毛が乾いて、ふわふわが戻ってくるたびに、「ああ、きれいになっていく」という満足感がじわじわと広がる。猫の入浴は手間がかかる。でもその手間の分だけ、終わった後の達成感も大きい。
洗い終えたムギは、しばらくソファの端でじっとしていた。まだ少し納得がいっていないような顔で、尻尾をゆっくり左右に振っている。でも夕方になると、いつものようにひざの上に乗ってきた。きれいになった毛並みが、夕陽の光を受けてやわらかく光っていた。
猫をきれいにしよう、と思い立つ日は、たいていこんな風に慌ただしくて、にぎやかで、少しだけ笑えて——それでも、終わった後には静かな幸福感が残る。それがうちの、猫の入浴の話だ。

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