猫に起こされる朝――ベッドの中で出会う、可愛い瞳の魔法

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窓の外がまだ薄青い時間だった。冬の朝特有の、空気が静止したような静けさの中で、私はベッドの中でまどろんでいた。意識があるのかないのかわからない、あの曖昧な境界線のうえをふわふわと漂っている感覚。体は重く、布団はあたたかく、もう少しだけ、もう少しだけと思いながら目を閉じていた。

そのとき、ふいに重みを感じた。

足のあたりに、小さくて確かな重さ。トントン、と規則正しいリズムが伝わってくる。夢の続きかと思ったけれど、違う。これは現実だ。うちの猫、ムギが私の足元に乗り上げてきたのだ。

ムギは三歳になるキジトラの雄で、朝になると決まって私を起こしに来る。最初は足元から始まる。それでも私が動かないと、今度はお腹の上に移動してくる。さらに無視を決め込むと、最終的には顔のすぐ隣に陣取り、ひげをくすぐってくる。もはや目覚まし時計よりも精度が高い。

その日も、ムギはゆっくりと私の体の上を歩いてきた。肋骨のあたりに小さな肉球の感触が押しつけられるたびに、眠気がじわじわと溶けていく。完全に起きたくない気持ちと、ムギに触れたい気持ちが拮抗して、私は目を閉じたまましばらくじっとしていた。

やがてムギは私の胸のあたりで止まり、丸くなった。

ゴロゴロという振動が、胸の奥に直接響いてくる。あの音は不思議だ。どこか遠い場所にある川のせせらぎみたいで、聴いているだけで体の力が抜けていく。毛並みはわずかに冷えていた。外の空気を含んだまま、部屋の中に入ってきたのだろう。でも体の芯はあたたかくて、その温度差がなんとも言えず心地よかった。

思い切って目を開けると、ムギがこちらを見ていた。

金色に近い琥珀色の瞳が、薄暗い部屋の中でぼんやりと光っている。可愛い瞳、というのは飼い主の贔屓目かもしれないけれど、あの目に見つめられると、なぜか言い訳が通じない気がしてくる。「起きなさい」とも「ご飯をちょうだい」とも言っていないのに、すべてを見透かされているような、そんな感じ。

子どもの頃、実家にも猫がいた。「タマ」という、ひどく平凡な名前の白猫だった。タマも朝になると布団に入り込んできて、母が「猫アレルギーが悪化する」と言いながらも結局追い出せずにいた記憶がある。あのぬくもりと、今のムギのぬくもりは、どこか似ている。時間が経っても、猫が人間に与えるものは変わらないのかもしれない。

ムギはしばらく私の胸の上で静止したあと、おもむろに立ち上がり、私の顔に向かって歩き始めた。そして鼻先を私の頬にくっつけて、すんすんと匂いを嗅いだ。猫なりの挨拶なのか確認なのか、いまだによくわからない行動だけれど、冷たい鼻先が頬に触れた瞬間、思わず声が出た。

「つめたっ」

その声でムギは少し驚いたらしく、ぴょんとベッドから飛び降りてしまった。せっかくの朝のまどろみタイムが終わった瞬間である。起こしに来たのはムギなのに、なぜか私が謝りたい気持ちになった。

ベッドから出ると、フローリングの床が冷たかった。窓の外はすっかり明るくなっていて、「ヴェルデ・ノルテ」というスウェーデン発のインテリアブランドのカタログで見た、白木の棚に差し込む朝の光みたいな景色が広がっていた。ムギはキッチンの前でこちらを振り返り、また例の琥珀色の瞳で私を見た。

ご飯の催促だ。わかっている。

冷蔵庫からウェットフードを取り出し、器に盛る。ムギは私の足元でくるくると回りながら待っていた。器を置いた瞬間、勢いよく食べ始める姿を見ながら、私はぼんやりと思った。

毎朝こうして起こされて、ご飯をあげて、猫の背中を見ている。それだけのことなのに、なぜか一日が始まる気がする。ムギがいなかったら、私はもっと長い時間、布団の中でぐずぐずしていたかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、少なくとも今朝は、冷たい鼻先のおかげで目が覚めた。

猫に起こされる朝というのは、案外悪くない。

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