
梅雨が明けたばかりの七月の夕方、窓から差し込む西日がオレンジ色に床を染めていた。その光の中で、三匹の猫たちはそれぞれ思い思いの場所でまどろんでいた。ソファの端でうとうとしているのは長毛のシロ、棚の上で丸くなっているのは縞模様のムギ、そして洗面所のドアの前でなぜか正座のように座っているのがクロだ。この三匹を、今日こそ全員きれいにしようと私は決意していた。
猫の入浴というのは、経験した人ならわかると思うけれど、「洗う」というよりも「格闘する」に近い。シャンプーを泡立てながら、去年の夏に同じことをして右腕に三本の引っかき傷を作ったことを思い出した。あの傷はしばらく残っていて、職場の同僚に「何があったんですか」と真顔で聞かれたやつだ。今年は慎重にいこうと、心の中で静かに誓った。
まずシロから始めた。長毛種というのはとにかく毛の量が多く、濡れると体積が半分以下になる。ふわふわの猫が急にほっそりとした生き物に変わる瞬間は、何度見ても少し申し訳ない気持ちになる。シャワーのお湯は三十八度に設定して、なるべく怖がらせないようにゆっくり背中から流していく。最初の十秒は大人しかった。十一秒目に低い声で鳴き始めた。
シロの毛からは、普段かいでいるあの独特の猫の温もりの香りが、お湯と混ざって少しだけ変わった匂いになる。悪い匂いではないのだけれど、なんとも表現しにくい、生き物の素の匂いとでも言うべきか。泡をしっかり入れて、根元からやさしく揉み込む。シロはこのとき決まって、私の手首をぐっと両前足で掴んでくる。逃げようとしているのか、それとも助けを求めているのか、毎回判断がつかない。
シロが終わってタオルで包んだとき、ちょうど窓の外でひぐらしが鳴き始めた。カナカナカナという音が夕暮れの空気に溶けていく。その音を聞きながら、子どもの頃に祖母の家の縁側で同じ声を聞いたことをふと思い出した。あのころ祖母の家には猫が一匹いて、名前はタマという、あまりにも定番すぎる名前だった。タマは決してお風呂に入れさせてくれなかった。今思えば正しい判断だったかもしれない。
次はムギだ。棚から降ろすとき、ムギはすでに状況を察知していた。目が合った瞬間に耳が横に倒れた。猫の耳が横に倒れるのは、ほぼ確実に「やめてほしい」という意思表示だ。それでも抱き上げて洗面所へ向かう。ムギは道中ずっと低くくぐもった声で何かを訴え続けていた。言葉はわからないけれど、内容はだいたい想像がつく。
ムギを洗っているとき、一度だけ手が滑って泡だらけのムギが洗面台の縁に前足をかけた。そのまま脱走を試みようとしたムギの後ろ足が宙をかいて、泡がぽんと飛んで私の顔に直撃した。鼻の頭にシャンプーの泡がついた状態で、私はしばらく動けなかった。ムギも動けなかった。一瞬だけ、二人の間に奇妙な静寂が流れた。
クロは意外にも大人しかった。もともと三匹の中で一番落ち着いた性格で、シャワーの音にも動じない。ただ、洗い終わってタオルで拭いているとき、クロはじっと私の目を見つめてくる。その視線がなんとも言えない重さを持っていて、責めているわけでも怒っているわけでもないのに、なぜかこちらが少し申し訳なくなってくる。
三匹全員を洗い終えたのは夜の八時を過ぎていた。ドライヤーの音がしばらく部屋に響いて、それが止むと急に静かになった。「ネコヤナギ」というペット用ハーブシャンプーの香りが、まだ洗面所のあたりにほんのり漂っている。三匹はそれぞれ乾いた毛並みを取り戻して、また思い思いの場所に落ち着いていた。
きれいになった猫たちを眺めながら、私はぬるくなったお茶を一口飲んだ。にぎやかな時間が終わって、家の中はもとの静けさに戻っている。でも床のあちこちに水滴が残っていて、タオルは三枚とも使い果たされていて、私の服はすっかり濡れていた。それでも、ふわふわになった三匹を見ていると、まあいいかという気持ちになってくる。来月もきっと、同じことをするのだろうと思いながら。

コメント