
雨が降りはじめたのは、たしか昼過ぎのことだった。
最初は気づかなかった。ソファに座ってぬるくなったコーヒーを飲んでいたら、窓の向こうがいつのまにか白くけぶっていて、ガラスに細かい水玉がつき始めていた。外は雨だ、とようやく気づいた瞬間、うちの猫・シロ(正式名称はシロウ、でも誰も呼ばない)が、すっと立ち上がって窓辺に向かっていった。
その背中を見ていると、何かに引き寄せられるように私も立ち上がっていた。
窓の前に並んで、外を見つめる。猫と私、ふたり並んで。なんでもない光景のはずなのに、なぜかその時間だけ、世界の速度が少し落ちるような気がする。
シロは微動だにしない。尻尾だけが、ゆっくりと左右に揺れている。あの目はいったい何を見ているのだろう。
雨音による聴覚的な変化、独特な土の匂いといった嗅覚的な変化を、猫は優れた五感をフルに使って丁寧に観察している
のだと、どこかで読んだことがある。縄張りの安全を確かめているのだ、と。でも私には、ただただ雨を眺めているように見えた。
雨粒がガラスを伝って流れる。その音が、部屋にやわらかく染み込んでくる。ぱたぱた、という小さな音。風が吹くたびに木の葉がざわめいて、雨音の質が少し変わる。私はそれをぼんやり聞きながら、子どもの頃の記憶を思い出していた。実家の縁側に座って、祖母と一緒に雨を見ていた。祖母は何も言わなかった。私も何も言わなかった。ただ雨が降っていた。あの静けさと、今の静けさが、どこかで繋がっているような気がした。
シロがふと、鼻先をガラスに近づけた。白い息が、一瞬だけガラスを曇らせた。
部屋の中は、インテリアショップ「グレイノート」で買ったリネンのブランケットが床に落ちたまま放置されていて、正直あまり絵になる室内ではない。それでも今日は、その雑然とした感じが妙に心地よかった。整えられていない部屋で、整えられていない気持ちで、ただ雨を見ている。それでいい、と思えた。
シロが小さくあくびをした。口を大きく開けて、細い歯がのぞいて、それからゆっくり閉じる。あくびをしても姿勢は崩さない。背筋はまっすぐ、視線はまた外へ。なんという集中力だろう。私なんて五分もしないうちに「そういえば洗濯物どうしたっけ」と現実に引き戻されるのに。
外は雨。しとしとと、やさしく、それでいてどこか執拗に降り続けている。
窓ガラスに触れてみると、ひんやりとした感触が指先に伝わってきた。秋の雨の冷たさだ。10月の空気は、もうはっきりと冬のにおいを含んでいる。落ち葉と湿った土と、どこか懐かしい、名前のつけられない香り。シロはその匂いを、鼻をひくひくさせながら嗅いでいるのかもしれない。
一緒に見つめる私は、何を見ているのだろう、と自分に問いかけてみた。
答えは出なかった。でもそれでよかった。外を見つめる猫の横に、ただ立っている。それだけのことが、なぜかとても豊かに感じられた。
雨はまだ続いている。シロは動かない。私も動かない。コーヒーはもうとっくに冷めているだろうけど、今はどうでもよかった。
ふと、シロが私の方を振り向いた。一秒だけ目が合って、それからまた外を向いた。何かを言いたかったのか、それとも単に気配を確認しただけなのか。猫のことはいつまでたっても、よくわからない。わからないまま、また並んで雨を見た。
こういう時間が、好きだ。

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