
十月の夕方というのは、どこかひっそりとしている。窓から差し込む光がオレンジ色に傾いて、部屋の隅まで柔らかく染める時間帯。私はソファに深く沈み込んで、ずっと積んだままにしていた一冊をようやく開いた。ページをめくるたびに、新しい本特有のかすかなインクの香りがする。読書する私にとって、これ以上ない静かな幸福だった。
そこへ、やってきた。
「ミャア」
短く、でも確信に満ちた一声。うちの猫、ソラ(三歳、サバトラ、気まぐれ担当)が、ソファの端からこちらをじっと見ている。しっぽの先だけがゆっくりと揺れていた。私は「あとでね」と言いながら視線を本に戻す。するとソラは、まるでそれを予測していたかのように、すたすたと歩み寄ってきて、開いたページの上にどっかりと座った。
完全に、邪魔をする猫である。
本の上に四つ足を揃えて座るソラの重さは、だいたい四キロほど。ページが完全に隠れる。文章どころか、挿絵すら見えない。私は苦笑いしながら「ちょっと、ソラ」と声をかけると、彼女はゆっくりと目を細めた。怒っているわけでもなく、ただただ「ここにいる」と主張する目だ。
思えば子どもの頃、実家で飼っていた猫も同じことをしていた。夏休みの宿題をやろうとするたびに、ドリルの上に寝転がって邪魔をしてきたあの子。当時の私は本気で困っていたのに、今となっては笑えるくらい懐かしい。猫というのは、時代が変わっても変わらない。
ソラをどかすと、今度は膝の上に乗ってくる。これはこれで困る。本を持つ角度が変わって、読みにくい。でも温かい。秋の夜に向かいつつある夕方の空気の中で、膝の上にある小さな生き物のぬくもりは、毛布よりも確かに温かかった。
ふと思う。なぜ彼女は、私が読書するときだけこうなのだろう、と。テレビを見ていても、スマホを触っていても、ソラはそこまで積極的に来ない。でも本を開いた瞬間だけ、まるでスイッチが入ったように動き出す。
猫は読書やパソコンといった作業の意味を知らない。猫からしたら、飼い主がヒマそうにぼーっとしているように見えるのだ。
なるほど、ソラの目には私が「なぜか紙を見てじっとしている、不思議な人間」に映っているのかもしれない。
ある日、ソラが珍しく膝の上ではなく、私の肩のあたりに顎を乗せてきたことがあった。重い。角度的に本が持てない。思わず「それは無理」と声に出したら、ソラはふんと鼻を鳴らして、今度は私の手首に額をこすりつけてきた。その柔らかさに、思わず本を閉じた。負けた、と思った瞬間、ソラは満足そうにのそのそと移動して、今度はひとりで丸くなって眠り始めた。(心の中で小さくツッコんだ。「さっきまでのあれは何だったんだ」と。)
猫は飼い主の注意を引くために、あえて邪魔になる場所に座ったり、視界をさえぎる場所に来たりする。特に一匹でいる時間が長かった日や、遊び足りない日などは、その傾向が強くなる。
確かにその日は、私が外出から帰ってきたばかりで、ソラはほぼ一日ひとりだったはずだ。
架空のインテリアブランド「Lioro(リオーロ)」のカタログで見かけた「読書のある暮らし」という特集には、猫と本棚が一緒に写った写真が並んでいた。ああいう暮らしに憧れていたけれど、実際のところ、邪魔をする猫がいる読書は、カタログよりずっとにぎやかで、ずっと温かい。
わざわざ飼い主のそばまでやってきて作業を中断させるのは、それだけ飼い主を気にしている証拠ともいえる。
そう知ってから、ソラが本の上に乗ってくるたびに、少しだけ見方が変わった。邪魔、じゃなくて、「そこにいたい」という気持ちの表れなのだと。
読書する私の隣で、愛おしい猫は今日もページを塞ぐ。本の続きは、ソラが眠ってからでいい。そんなふうに思えるようになったのは、いつからだろう。秋の光がゆっくりと部屋を暗くしていく中で、ソラの寝息だけが静かに続いていた。

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