
八月の夕暮れどき、浴室の電球がオレンジ色に滲む時間帯に、またあの儀式がはじまる。
「さあ、きれいにしよう」と心のなかでつぶやきながら、うちの三匹——チャオ、ムギ、そして末っ子のコテツを順番に抱き上げる。猫の入浴は、我が家では週に一度のにぎやかな行事になっていた。本来、
健康な飼い猫の多くは年に2〜4回のお風呂で十分
らしいのだが、外遊びが好きなチャオと、やたらと砂をかぶるムギがいる限り、そうも言っていられない。
浴室に連れ込むと、まず空気が変わる。タイル張りの壁に反響する水音、シャンプーの泡立つ香り、ぬるめのお湯が指の間を流れる感触。猫たちはそれぞれに違う反応を見せる。チャオは最初の一滴から全力で訴えてくる。ムギは諦めたように目を細める。コテツだけが、なぜか毎回、シャワーヘッドをじっと見つめてから観念する。その三者三様の「観念の仕方」を眺めるのが、実は少し好きだったりする。
いきなり背中や頭からお湯をかけると驚いてパニックになる可能性があるため、まず心臓から遠い足先やしっぽの先から少しずつ濡らしはじめる
のがコツだ。「お湯かけるよ」と声をかけながら、ゆっくりと。これを覚えるまでに、ずいぶん引っかかれた。子どものころ、実家で飼っていた三毛猫に初めてシャンプーをしようとして、腕に細い傷を三本もつけられたことを今でも覚えている。あのときの母の「だから言ったでしょ」という顔が、妙にリアルに蘇る。
シャンプーは必ず猫用と表記のある専用のものを使う。人間用では刺激が強く、皮膚トラブルの原因になりかねない。
我が家で愛用しているのは「ノルディカペット」というブランドの低刺激フォームシャンプー。泡立ちがよく、すすぎが早い。猫への負担を減らすには、とにかく時間を短くすることが大事だと実感している。
シャンプーは背中から、毛並みに逆らって下から上へと洗う。お腹側は皮膚が薄いので、爪を立てないように気をつけて。
これを三匹分こなすと、こちらもびしょ濡れになっている。浴室の床に水たまりができ、タオルは三枚では足りない。ある日など、ムギを拭こうとしてタオルを手に取ったら、それがコテツを包んだあとのものだったらしく、すでにぐっしょりしていた——気づかずそのまま使ったのは、内緒にしておきたい小さな失敗だ。
飼い主さんが愛猫の体をきれいにしようと抱きかかえてお風呂場へ連れていったところ、シャワーの温かいお湯をかけられた愛猫が、まるで信頼していた相手に裏切られたかのような絶望に満ちた表情を浮かべた
という話が2026年春にSNSで話題になったが、正直、うちのチャオも毎回そういう顔をする。「し、信じてたのに」という目。それでも洗い終わって乾かしたあと、ふわふわになった体を丸めてそっとそばに来るのだから、猫というのは不思議な生き物だ。
ドライヤーの温風をあてながら、指でゆっくり毛をほぐす。この時間が、実は一番好きかもしれない。コテツが目を細めて、少しずつ体の力を抜いていく。さっきまであれだけ嫌がっていたのに、温かさに負けてうとうとしはじめる。その小さな降参を、手のひらで感じる瞬間。
猫の皮膚は薄くデリケートなため、洗いすぎると必要な皮脂まで洗い流され、かえって皮膚病になってしまう恐れがある
という指摘もある。だから「洗いまくる」といっても、丁寧に、猫のペースに合わせながら、だ。にぎやかで騒がしくて、毎回ぐったりするけれど、三匹がきれいになって並んで眠る夜は、なんとも言えず穏やかだ。
猫の入浴は、愛情の確認作業なのかもしれない、とふと思う。嫌がられながらも、それでも洗う。洗われながらも、結局そばに来る。そのやりとりの中に、言葉のいらない何かがある。

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