賑やかな猫に呆れる私——走り回る猫と、夏の夕暮れに呆然と立ち尽くした話

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七月の終わり、午後五時を少し過ぎたころ。西日がレースカーテンを橙色に染めて、部屋の中にじわりと熱気が残っていた。エアコンの設定温度を二十六度にしているのに、なぜかちっとも涼しくならない。そういう夕方だった。

私はソファに腰を落として、アイスコーヒーのグラスを両手で包んでいた。グラスの表面には水滴がびっしり張りついていて、指先だけがひんやりしている。架空のインテリアブランド「ノルテ・フォリア」のカタログをめくりながら、ぼんやりと次の休日の計画でも立てようかと思っていた、まさにその瞬間だった。

どん、という音がした。

続いて、ばたばたばたばた——という、小さいくせに妙に力強い足音。

振り返ると、うちの賑やかな猫、むぎが、廊下からリビングへ全速力で飛び込んできた。何かに追われているのか、あるいは自分の尻尾でも追いかけているのか、とにかく理由のわからない全力疾走だった。走り回る猫というのは、こちらの都合など一切考えない。カタログの上を踏み越え、私の膝をかすめ、テレビ台の角でいったん急ブレーキをかけ、また廊下へ消えていった。

私は呆れる私のまま、しばらく動けなかった。

子どものころ、実家にも猫がいた。名前はあんず、茶色と白のまだらで、いつも縁側で昼寝をしていた猫だった。あの子は静かで、物音ひとつ立てない猫だったから、むぎのこの「賑やかさ」は毎回新鮮に驚かされる。いや、正確には驚くというより、ただただ呆然とする、という感じに近い。

しばらくして、むぎは何事もなかったかのようにリビングへ戻ってきた。息も乱さず、毛並みも乱れておらず、さっきまでの狂乱が夢だったのではないかと思うほど落ち着いた顔で、私の隣にすとんと座った。そして、ちらりとこちらを見た。

——なに? という顔だった。

いや、こっちのセリフだよ、と心の中でつっこんだ(声には出さなかった。出したところで通じないのはわかっている)。

むぎの毛は、夕日を受けてすこし金色に見えた。耳の先だけが薄く透けて、細い血管の形がうっすら浮かんでいた。私はアイスコーヒーをひと口飲んで、カタログを閉じた。ページをめくる気力が、どこかに消えていた。

走り回る猫というのは、なぜあんなにも全力なのだろう。何かが怖いのか、楽しいのか、それとも単純にエネルギーが余っているだけなのか。飼い始めて三年が経つのに、いまだにわからない。そのわからなさが、少しだけおかしくて、少しだけ愛しい。

外では蝉がまだ鳴いていた。七月末の夕方特有の、じりじりとした熱が窓の外に漂っていて、カーテンの端がかすかに揺れた。むぎはそれをじっと見つめている。尻尾の先だけが、ゆっくりと左右に揺れていた。

呆れる私と、賑やかな猫。この二者の関係は、たぶんこれからもずっと変わらないのだと思う。私が呆然と猫を見つめて、猫は涼しい顔をして、夕暮れだけが静かに過ぎていく。それが、今年の夏の、私たちの日常だった。

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