外は雨。猫と一緒に見つめる、静かな午後の窓辺

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雨が降り始めたのは、午後二時を少し過ぎたころだった。

最初は気づかなかった。台所でコーヒーを淹れていて、ふと振り返ったとき、ソラがもう窓の前に座っていた。いつの間に、と思う。三歳になるキジトラの彼女は、音もなく移動する。ほんとうに音がしない。絨毯の上を歩くときも、ソファから飛び降りるときも。それだけが少し悔しい。

窓の外は雨だった。

梅雨の終わりかけの、重たい雨。アスファルトが濡れて黒くなり、向かいの家の紫陽花が頭を垂れている。雨粒がガラスを伝って、細い筋を描きながら落ちていく。その筋を、ソラはじっと目で追っていた。尻尾がゆっくり、左右に揺れている。

私もカップを持ったまま、隣に腰を下ろした。

外を見つめる猫の横顔というのは、どうしてこんなに絵になるのだろう。哲学者みたいな顔をしている、とよく思う。何かを考えているのか、何も考えていないのか、その境界が曖昧で、それがまたいい。ソラが外を見つめる理由を、私はいつも少し考えてしまう。縄張りの確認なのか、ただの退屈しのぎなのか。雨粒の動きが、彼女の狩猟本能をくすぐっているのかもしれない。

子どものころ、雨の日が好きだった。

正確に言うと、雨の日の室内が好きだった。小学三年生のとき、実家の縁側に座って、庭に落ちる雨を眺めていた記憶がある。あのとき感じた、世界から切り離されたような静けさ。外は動いているのに、自分だけが止まっているような感覚。今日の午後は、あのころに似ている。

コーヒーの湯気が、ゆるく立ち上がる。

豆は「ブリュムノワール」という架空の小さなロースタリーで買ったものだ——と言いたいところだが、正確には近所の輸入雑貨店の棚の片隅で見つけた、ラベルも素っ気ない深煎り豆である。名前はたしか「ブリュムノワール」。霧の黒、という意味らしい。雨の日に飲むのにちょうどいい名前だと思って買った。苦みの中にわずかな甘みがあって、後味がすっと消える。

ソラが、ふいに耳を動かした。

外で何かが動いたのかもしれない。雨の中を、傘をさした人が一人通り過ぎた。ソラの視線がその人を追い、そして路地の角に消えると、また窓の真ん中に戻る。私も一緒に見ていた。外は雨で、世界はしっとりと静かで、私たちは二人で窓を見つめていた。

こういう時間が、好きだ。

言葉にすると陳腐になる気がして、いつも黙っている。ソラも黙っている。彼女に言葉はいらない。ただそこにいて、同じ方向を向いているだけで、何かが満たされる感じがある。一緒に見つめる私、という存在が、彼女にとって何を意味するのかはわからない。でも、逃げないでいてくれる。それだけで十分だと思う。

雨音が少し強くなった。

窓ガラスを叩く音が、低くなる。ソラの尻尾の揺れが止まった。じっと、動かない。雨粒がガラスに当たるたびに、彼女の耳が微かに反応する。その繊細さに、毎回少し驚く。私には聞こえていない音を、彼女は聞いているのかもしれない。

そういえば一度、ソラが外を見つめているのに気を取られて、コーヒーを飲み忘れたことがある。気づいたら完全に冷めていて、電子レンジで温め直したら微妙に風味が変わってしまった。猫の横顔は、人をそれくらい油断させる。

雨は、まだしばらく続きそうだった。

カップを両手で包んで、また窓の外を見る。外は雨で、紫陽花はまだ頭を垂れていて、ソラはまだそこにいる。この午後だけの景色が、ゆっくりと時間をかけて過ぎていく。外を見つめる猫と、一緒に見つめる私と、冷めかけのコーヒーと、雨の音。それだけでできた、小さな世界。

窓の向こうで、また誰かが傘をさして歩いていった。

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