
梅雨の終わりかけの、七月のはじめの話だ。朝から空はどんよりと低く垂れこめていて、窓の外はしとしとというより、もう少し重い音で雨が落ちていた。アスファルトに当たる雨粒の音が、部屋の中にまで薄く染み込んでくるような、そういう午後だった。
ソラは、いつものように窓際にいた。
グレーの毛並みをした五歳のオス猫で、もともとは近所の保護猫カフェから引き取った子だ。普段はそれほど窓に張り付くタイプではないのに、外は雨だというのに、今日はなぜかずっとそこから離れない。ガラス一枚を隔てた向こう側を、じっと、本当にじっと見つめている。
しとしとと雨が降る屋外を見つめる猫の姿は、どこか哲学者めいている。
私はそう思いながら、ソラの隣に腰を下ろした。
外を見つめる猫の背中は、思ったより小さかった。丸まった肩、耳だけがわずかに動いている。雨音に何かを聞いているのか、それとも単に気圧の変化を体で感じているのか。
猫は気圧の変化に敏感で、雨の日はなんとなくアンニュイになるともいわれている。
そういう話を思い出しながら、私はソラの隣で同じ方向を眺めた。一緒に見つめる私と、外を見つめる猫。なんだかおかしな絵面だと思いつつ、悪くなかった。
雨粒がガラスを伝って流れていく。その軌跡を、ソラの瞳がかすかに追っているように見えた。
コーヒーを淹れようと思って立ち上がり、キッチンへ向かった。使っているのは「ルヴァン・モーニング」という小さなブランドのドリップパックで、香りが深くて雨の日に飲むと妙に落ち着く。お湯を注いだ瞬間、部屋中にふわりと焙煎の香りが広がった。温度と香りが混ざり合って、空気がほんの少し柔らかくなる気がした。
カップを持って戻ると、ソラはまだそこにいた。
私が隣に座り直したとき、ソラがほんのわずかに顔をこちらへ向けた。目が合う。それだけで、また外へ視線を戻す。まるで「ちゃんといるか確認した」とでも言うように。猫というのは、こういう小さな動作で人を安心させるのが上手だと思う。
雨の音が少し強くなった。
子どもの頃、雨の日が好きだった。学校が終わって帰ると、家の縁側に祖母が座っていて、庭に降る雨をぼんやり眺めていた。何をしているの、と聞いたら「雨を数えとる」と言った。意味がよくわからなかったけれど、今になって少しだけわかる気がする。雨粒のひとつひとつに目を向けることで、時間がゆっくりになる感覚。ソラも、そういうことをしているのかもしれない。
しばらくして、ソラがあくびをした。
大きな口を開けて、それはもう堂々としたあくびで、その後ぺたりと前足を折り畳んで「香箱座り」の姿勢になった。外は雨、観察終了、といった様子だ。私はそれを見て、少し笑った。さっきまであんなに真剣に外を見つめる猫だったのに、あくびひとつでスイッチが切れるのがいかにも猫らしい。
ちなみにこのとき、私はコーヒーカップを膝に置いたまま少しうとうとしてしまい、目が覚めたらソラが私の膝の上にいた。カップはどこかへ——正確には床の上に、奇跡的に中身をこぼさないまま転がっていた。ソラのせいなのか私のせいなのか、今もよくわからない。
雨の日は、猫にとっても飼い主にとっても、ふたりだけの特別な時間になる。
外は雨。それでも、窓の向こうには確かに世界が続いていて、雨粒はアスファルトに落ち、木の葉を揺らし、排水溝へと流れていく。ソラはそれを知っている。私よりずっと細かく、鋭く、感じているのかもしれない。
窓の外を見つめる猫の横で、私はまたコーヒーを飲んだ。今度はちゃんと、カップを両手で持って。雨の音と、ソラの小さな寝息と、それだけが部屋に満ちていた。どこにも行かなくていい午後というのは、こんなふうにして静かに過ぎていく。


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