
四月の午後というのは、妙に間延びしている。窓から差し込む光がフローリングの上で白く伸びて、どこかぼんやりとした時間が部屋の中に満ちていた。コーヒーメーカーが「ぴっ」と鳴って、挽きたての豆の香りがゆっくりと広がる。ああ、今日こそ穏やかな休日にしよう。そう思った瞬間だった。
ドドドドド、という音が廊下の奥から響いてきた。
うちの猫、ムギが走っている。いや、「走る」という表現では足りない。疾走している。何かに追われているのか、あるいは何かを追っているのか、それすら不明なまま、ムギは部屋を横切り、ソファの背もたれを蹴り、カーテンの裾に突撃し、また廊下へと消えた。私はコーヒーカップを持ったまま、ただ呆然と猫を見つめるしかなかった。
子どもの頃、祖母の家に縁側があって、そこで昼寝をしていた記憶がある。畳の匂いと、外から聞こえる風の音と、遠くの踏切の音。あの静けさが「午後」というものだと思っていた。でも今の私の午後には、賑やかな猫がいる。
ムギが走り回る猫になったのは、ここ最近のことだ。正確には、インテリアショップ「ネビュラホーム」で買った麻素材のラグを敷いてから、という気がしている。あのラグの上だけ、なぜか爪のひっかかりが良いらしく、ムギはそこを助走路として使い始めた。一万四千円のラグが、猫のスタートダッシュ台になっている。呆れる私の気持ちを、どうかわかってほしい。
走り回る猫を眺めながら、コーヒーをひと口飲んだ。少し苦い。窓の外では桜がほとんど散っていて、代わりに若葉が光を透かしていた。やわらかい緑色の光が部屋に落ちて、走り回るムギの背中にもかかっている。賑やかな猫のくせに、その光の中では妙に美しく見えた。
ムギがふいに止まった。
何かを見つけたのか、床の一点をじっと見ている。私も目を凝らしたが、何もない。ただのフローリングだ。しかしムギには何かが見えているらしく、尻尾の先だけがゆっくりと揺れていた。その静止の時間が、なぜかひどく長く感じられた。
賑やかな猫というのは、こういう生き物だ。全力で走り回ったかと思えば、急に哲学者みたいな顔で虚空を見つめる。そのギャップに、私はいつも少し置いていかれる。
ちなみに今日、ムギは一度だけ私の膝に乗ってきた。コーヒーを飲もうとカップを傾けた、まさにその瞬間に。当然、カップは揺れ、コーヒーが少しこぼれ、ムギはすぐにまた走り去った。膝の上にいたのは、おそらく三秒。残ったのは、ぬくもりの残像と、ちょっと湿ったズボンだけだった。
走り回る猫と暮らすことは、静けさを諦めることではないと、最近は思っている。むしろ、その騒がしさの隙間にある一瞬の静止や、ふと触れる温かさの方が、妙に深く心に残る。呆れる私がいて、賑やかな猫がいて、それでも午後の光はやさしく部屋に満ちている。
コーヒーカップをテーブルに戻した。また廊下の奥から、ドドドドド、という音が聞こえてくる。ムギの第二ラウンドが始まったらしい。私はため息をついて、それからなぜか、少し笑った。

コメント