
四月の朝は、光の入り方がやさしい。カーテンの隙間からこぼれる白みがかった橙色が、ベッドの中にいる私の瞼をじんわりと刺激する。まだ夢の続きを引っ張っていたくて、布団を頭まで引き上げた——そのちょうど三秒後のことだった。
小さな重みが、足元にのった。
ずしり、というより、ふわり。でも確実に、そこにいる。猫だ。うちのキジトラ、むぎが、いつもの朝の儀式を始めたのだとすぐにわかった。
むぎは生後八ヶ月のころ、近所の公園の植え込みで保護した猫だ。最初の一週間は押し入れの奥から出てこなかったのに、今では毎朝こうして律儀に起こしにくる。
猫は薄暗い明け方に最も活発になる「薄明薄暮性」という習性を持っていて、野生時代の名残として人がまだ寝ている朝早くに動き出す
——と知ったのはずいぶん後のことで、むぎの行動に理由があると知ってからも、正直なところあまり気にしていない。むしろ、それが心地よい。
足元からゆっくりと這い上がってくる気配がある。お腹の上、胸の上、そして顔のすぐそば。鼻先に、かすかにドライフードの香りが漂う。むぎの息だ。温かくて、少しだけ獣くさい、それでもなぜか嫌じゃない匂い。
「むぎ」と呼ぶと、返事のかわりに額をぐいっと押しつけてきた。その額の硬さと毛の柔らかさが同時に伝わってきて、私はそのまま目を閉じたまま手を伸ばした。背中の毛を撫でると、ごろごろという振動が手のひら全体に広がる。音というより、感触として伝わってくる種類の音。
夜が明けるとともに差し込む光や、ベランダの鳥の声が猫を刺激して覚醒を促し、目が覚めた猫は「さあ、起きてよ」とばかりに飼い主にアプローチを始める
のだという。確かに今朝も、どこかの庭木でヒヨドリが鳴いていた。むぎはそれを聞いて目を覚まし、それから私のもとへやってきたのかもしれない。
ベッドの中で猫に起こされる、という体験を、子どものころの私は想像したこともなかった。実家は犬派で、猫を飼ったのは一人暮らしを始めてからだ。初めてむぎを胸に抱いた夜、あまりに軽くて、こんなに小さな命を預かっていいのかと少し怖かった。
むぎの可愛い瞳が、薄暗い部屋でまん丸に開いている。猫の瞳孔は光量に応じて形を変えるが、朝のこの時間、まだ部屋が薄暗いうちはまるで黒い宝石のようだ。その可愛い瞳でじっと見つめられると、どんなに眠くても、抗えない気持ちになる。
飼い主さん約1000名へのアンケートでは、約8割もの飼い主さんが「朝、愛猫が起こしにくることがある」と回答していた
というから、この感覚を共有している人はたくさんいるのだろう。そう思うと、少し嬉しい気持ちになる。
ちなみにむぎは先週、私が二度寝を試みたときに枕の角をかじった。枕はインテリアブランド「ソワレリネン」の麻混素材で、それなりの値段がしたものだ。端っこがぺろりと剥がれて、中の綿がはみ出しているのを翌朝発見したときは、さすがに「ちょっと待って」と心の中でツッコんだ。むぎは知らん顔で毛づくろいをしていた。
猫はわがままで自分勝手な生き物。「しかし、そこもまた猫の魅力である。」そう思えるかどうかは、猫を飼うのに向いているかどうかを判断するひとつのポイントなのかもしれない
——という言葉を読んだとき、思わず笑ってしまった。まったくその通りだと思う。
甘えたいという気持ちが朝のテンションの高まりとともに盛り上がり、飼い主のもとへやってくる
のだとしたら、むぎはただ、私のそばにいたいのだ。それだけのことが、毎朝この小さな儀式を生んでいる。
布団の中でまどろみながら、むぎの体温を感じていると、今日という一日がまだ始まっていないような、ゆるやかな時間の感触がある。起きなければならない。でも、もう少しだけ。この重みと温もりと、ごろごろという振動の中に、もう少しだけいたい。
猫に起こされる朝は、少しだけ世界が柔らかく見える。

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