
四月の中頃、窓から差し込む光がやわらかく床を染める時間帯のことだった。春の午後というのはどこかぼんやりしていて、カーテンの端がふわりと揺れるたびに、空気そのものが眠たそうに見える。そんな日に限って、わたしは三匹の猫を洗うことを決意した。
うちにいるのは、シロ、ムギ、そしてトラという名前の雑種たちだ。シロは長毛で白い毛が部屋中を舞い、ムギは短毛のくせに妙に泥を拾ってくる。トラは……まあ、いつでもどこかしら汚れている。この三匹の猫の入浴を、一日でやり遂げようとしたのだから、もはや覚悟の問題だった。
シャンプーを始めると大きな声で鳴き叫んだり、怖がって逃げ出そうとしたりすることもある。
とは知っていた。知っていたうえで、それでも「今日こそきれいにしよう」と思ったのは、リビングのソファに残った獣のにおいが、ついに限界を超えたからだ。ペット用品ブランド「ボタニカ・ポー」の天然成分シャンプーを新たに買ったことも、背中を押した理由のひとつだった。
まずシロから始めた。
30〜35℃程度のぬるま湯をおしりから徐々に首の回りくらいまでかけていき、毛根までしっかり濡らしてから、猫用シャンプーを手のひらで泡立て、毛玉にならないよう、もみこむようにして優しく洗う。
教科書通りにやれば、なんとかなる。そう信じていた。シロは最初こそ静かだったが、シャワーの音が大きくなった瞬間、「ニャアアア」と腹の底から声を出し、浴室が一気ににぎやかになった。その声がトラに聞こえたのか、廊下の向こうでドスンという音がした。逃げたのだ。
猫がお風呂を嫌がるのは、水やシャンプー、お風呂場の環境がストレスになるからといわれている。猫のお風呂嫌いの主な理由は水に濡れることへの不快感にある。
それはわかっている。でも、においもわかってほしい。
シロを洗い終えてタオルで包んだ瞬間、びしょびしょのまま全力で首を振られた。シャンプーの泡が顔に飛んできた。わたしの眼鏡がずり落ちた。心の中で「そこじゃない」とつぶやいた。これが今日唯一の笑える場面だったかもしれない。
次はムギ。
背中、お尻周り、足先の順に、猫に声をかけてリラックスさせながら、手で包み込むようにやさしくマッサージする感覚で洗っていく。
ムギは意外と大人しかった。ただ、ずっと低くうなっていた。あの音は威嚇なのか、諦めなのか、今でもわからない。洗い終えたムギの毛は、濡れると体の細さが際立って、まるで別の生き物のようだった。触れるとひんやりしていて、タオルを押し当てるたびに熱が移っていく感触が手のひらに残った。
問題はトラだった。
「ここから出してー」と激しく鳴いて、結構人聞きの悪い声で鳴く
タイプの猫というのがいるが、トラはまさにそれだった。隣の部屋まで聞こえる声量で、浴室全体がにぎやかを通り越して、もはや音楽のようだった。子どもの頃、祖母の家で飼っていた猫も同じだったことを思い出した。あのときも洗うたびに大騒ぎで、祖母は「猫は自分で洗うから余計なことをするな」と笑っていた。
猫の毛は上毛と下毛の二重毛構成であるため、とても乾きにくくなっている。まずはタオルで充分に水分をふき取ってからドライヤーを使ってしっかり乾かす。
三匹分のドライヤーを終えた頃には、窓の外がすっかりオレンジに染まっていた。春の夕暮れはあっという間だ。
浴室のタイルに残ったシャンプーの泡を流しながら、ふと振り返ると、三匹がそれぞれ別の場所で毛づくろいをしていた。きれいにしようとしたのに、自分でもう一度やり直している。それでもいい、と思った。毛並みがふわりと整って、部屋にかすかにボタニカルの香りが漂っている。それだけで、今日は十分だった。

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