本を読む私の膝の上に——邪魔をする猫が教えてくれる、愛おしい時間のこと

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四月の午後、窓から差し込む光がフローリングの上に細長い長方形を描いていた。外はまだ少し肌寒く、でも室内にはほんのりとした春の温度が漂っている。そんな時間帯に私はソファに深く沈み込んで、ずっと積んだままだった小説を開いた。タイトルは『夜明けのルシア』という架空の恋愛小説で、先月の誕生日に友人からもらったものだ。

最初の数ページを読み進めたところで、気配を感じた。

ソファの端から、グレーと白が混じった毛並みのムギが、こちらをじっと見ている。目が合う。私は「まだ読んでるよ」と心の中でつぶやきながら視線を本に戻した。ところがムギはそれを許さない。するすると近づいてきたかと思うと、開いたページの上にどすんと前足をのせた。まるで「ここに私がいますけど?」と主張するかのように。

読書する私の膝の上に、ムギはいつもこうして乗り込んでくる。

子どもの頃、実家で飼っていた猫も同じだった。母が新聞を広げるたびに、白黒の猫がその上に寝転んで「ここは私の場所」と言わんばかりに丸くなっていた。母は苦笑いしながらも、けっして猫をどかさなかった。あの頃の光景が、ムギを見るたびにふっとよみがえる。

邪魔をする猫、と世間では言う。確かにそうだ。ページはめくれないし、文章の途中で集中が途切れる。でも、邪魔というには少し違う気がしている。ムギの体温がじんわりと膝に伝わってきて、その重さがなんとも心地よい。毛並みに指を差し込むと、細かな毛が指の隙間をすり抜けていく感触がある。ゴロゴロという低い振動が、膝を通して全身に届く。

しばらくして、ムギは満足したのか私の腕にあごをのせてうとうとしはじめた。

その小さなしぐさに、思わず本を閉じてしまう。ページ数を確認すると、まだ38ページしか進んでいなかった。一時間以上経っているのに。——まあ、しょうがない(心の中でそっとツッコミを入れながら、私は苦笑する)。

猫は読書の意味を知らない。飼い主がヒマそうにしているように見えるのだ
、という話をどこかで読んだことがある。ムギにとって、私が本を開いている時間は「何もしていない時間」に映っているのかもしれない。だとしたら、この邪魔は純粋な愛情の表れだ。

窓の外では、桜がもう散りかけていた。花びらが一枚、ガラス越しに見えた。春の終わりはいつもこんなふうに、気づかないうちに近づいてくる。

猫が読んでいる本の上に乗るのは、純粋に飼い主にかまってほしいから
だという。邪魔をしようという悪意は一切なく、ただそこにいてほしいという気持ちだけがある。そう思うと、ムギの行動がまるで違って見えてくる。重なった本のページの上で、ムギは小さく息をしている。その呼吸が規則正しく、穏やかで、見ているとこちらまで落ち着いてくる。

愛おしい猫、というのはこういうことなのだと思う。

不便で、思い通りにならなくて、でもそのすべてが愛しい。読書の邪魔をされるたびに、私はムギとの時間の方を選んでしまう。本はいつでも読める。でも、ムギがこうして膝の上でうとうとする時間は、今この瞬間にしかない。

『夜明けのルシア』の続きは、また今度でいい。

春の光の中で、ムギのゴロゴロが続いている。コーヒーの香りが部屋に残っていて、窓の外では風が静かに吹いていた。読書する私と、邪魔をする猫と、それを愛おしいと思う気持ちと。この三つが重なる午後が、今日もまた穏やかに過ぎていく。

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